キム・ジンマン「Noodle Fish」スタジオ訪問記by KIAFA
キム・ジンマン監督「Noodle Fish」B01 Project Animationスタジオ訪問記
(2012年3月8日 KIAFA CAFEより)
花コリ2013東京会場ゲストのキム・ジンマン監督のスタジオをKIAFAスタッフが見学に行きました。
その時のレポートです。
2011年9月には、インディ・アニフェスト2011で海外ゲストとして渡韓していた水江未来さんと花コリスタッフがキム・ジンマン監督のスタジオにお邪魔しました。その時の訪問記は別の記事でアップします。
KIAFA:ご招待ありがとうございます。来てみたかったんですが、スタジオがご自宅だったので…。
キム・ジンマン(以下キム):ええ、自宅がスタジオだから気を使うかもと思っていました。結婚前一人でスタジオを使っていた時、他のスタジオみたいな雰囲気が出ていたんですが、今は生活している家で撮影をする空間だけ、別に区別して買っている状態で、そんなにお見せするものも多くなくて、招待してお見せするのもちょっと恥ずかしいなって、お断りしていたんです。今は撮影も終わって、余裕があるので(笑)。
KIAFA:監督のスタジオの名前が<B01 Project Animation>ですね。地下に作業部屋があった時の名前だったと思うんですが、地上に上がってきて、光を浴びるようになってけっこう経つと思うんですが、ずっと使っているところをみると特別な意味があるみたいですね。
キム:最初に地下で制作を始めました。B01号でした。特に名前をつけようとは思ってなかったんです。それで、空間を作業場の名前にしよう!スタジオを地下に選んだ理由も、ストップモーションでアニメーティングをしようとすると、窓のない暗い空間だといいな、って、地下という空間が与えるイメージ、またアンダーグラウンドのような感じがする私の制作スタイルととっても似ていると思い、B01にしました。今は地下から地上に上がったんですが、変わったことは確かですね。5階に上がりました。同じ建物で、地下で一生懸命やっていた地下生活者としての精神はずっと続いているので、特に他の名前に変えはしませんでした。
KIAFA:地下から5階に上がった時はどうでしたか?
キム:人々は、日が昇ると気分がよく、日が沈むと嫌だというじゃないですか。僕はそれを知らずに暮らしました。日が昇る時に地下に来て制作し、夜に家に帰る生活を繰り返していて、個人的に、薄暗い天気が好きだったりもし、不安はなかったです。結婚前はそうでした。でも結婚して、上がってきて、日の光をたくさん見るじゃないですか。いいですね。本格的にお日様が好きになり始めました(笑)
KIAFA:では次の作品にも続けて使うお考えですか?
キム:ええ、場所は移動しても、その心意気は続けるつもりです。
KIAFA:同じ建物だったんですね。
キム:2005年に入ったので。地下で5年、地上で3年。
KIAFA:ではProject Animationの意味は?
キム:僕の制作スタイルが特に外注せず、個人制作だけをずっとやってきたから、スタジオという概念よりは、作品のたびに周期がある<プロジェクト>の概念がより合っていると思って。続くけど、一つ一つ区切って、制作しようという趣旨もあり、生業じゃないからスタジオという名前はちょっと重くて。
KIAFA:そんな深い意味があったとは。では本格的に質問に入ります。アニメーションを始めたきっかけは?「監督語る」で少し話された内容ですが、彫塑科に入り、アニメーションをやるようになったのかについて詳しい話はなかったので。
キム:子どもの頃アニメーションが好きでした。特に「スマーフ/The Smurfs」と「シンドバッドの冒険」が好きでした。「シンドバッドの冒険」は日本で作られたのかな?
KIAFA:ディズニーでも作ってると思うけど。この時、監督の奥さんが登場
奥さん:たぶん劇場用アニメーションをディズニーで作って、TVで放映されたシリーズは日本で作ったんじゃない?(*TVシリーズは1975年~1976年フジテレビ系で放送、全52話)
KIAFA:あ、そうだったんですね。専門家ですね!
「監督語る」では日本のアニメーションが好きだと。
キム:特に好きってわけじゃないけど、明るい感じのモノや冒険するアニメーションが好きでした。だから「銀河鉄道999」(松本零士原作)はあまり好きではありませんでした。「けろっこデメタン」(1973年フジテレビ系列全39話タツノコプロ)も。高校に上がりながら思春期があり、その時は何故かアニメーションをあまり見ないじゃないですか。その時期は大学に行く考えはありませんでした。特別な理由があるわけじゃなく、家庭の財政がよくなかったっていうのもあり、商売をしようと思っていました。焼き芋を売ってみたり、アルバイトもたくさんして、事業に夢を託していました。そんな風に美術には夢にも思わなかったのに、高3の時、家の事情が少し良くなり始めました。状況が少し良くなったので、美術をやってもいいなと思って、それから美大の予備校に通い、美大入試勉強をしました。もちろん幼い頃、絵はたくさん描きました。学校で先生に認められたりしたけれど、家の事情上できなかっただけで、また始めるのにそんなに難しくはありませんでした。
KIAFA:絵をたくさん描いていたということですが彫塑科にはどういった理由で入ったんですか?
キム:絵を描くのも好きだったけれど、作ることも好きでした。その当時「われらの天国/우리들의 천국」(1990年MBC)というドラマがあったんですが、ミスコリアになってすぐに主演に抜擢されたイ・スンヨンが彫塑科の学生として出てきます。その姿を見て、あ!これだ!と思い、それから彫塑科に入らなきゃと思った。その前は水彩画を描いていて、彫塑科があることも知りませんでした。そのドラマを見て、僕も彫刻をやらなきゃと思い、高3の夏に突然彫塑科を目標に変えて入試準備をすることになりました。
KIAFA:高3の夏なら時間もないのに焦ったでしょう。
キム:遅かったから切迫していました。切迫していたら早く上達したってことも(笑)。
KIAFA:ものすごくドラマティックですね、意外でした。
キム:でしょう。その前は美術を諦めていたけど高3の時に急展開がありました。美大入試も遅れて始めたけど、勉強もその時から始めたし。高校もお金を稼ぐつもりで工業高校に通い、あたふたと教科書から買いました(笑)。他の友達は就職準備する時、僕は美大準備を始めたから、異質でしょう。
KIAFA:事業をやる考えで続けていたら、どうなってたと思いますか?
キム:その道で行ってたら、、弘大の前でカフェを開いていたでしょうね。
KIAFA:今始めても大丈夫だと思います。料理も上手だし、盛り付けもきれいだと思いますよ。
キム:カフェやろうかな?チャーハンのお店をやろうか?そんな風に悩んだ時もあります(笑)
KIAFA:以前事務局を移転する時、電機方面を見てくれるって言ってたのも高校の時の経歴があるからだったんですね。
キム:ええ、電機科を出ました。資格もあります。高校上がる時、電機科に行った理由があります。大学に行くつもりはなかったけど、手が器用になりたくて。それで手で出来るものを探して電機科に入りました。
KIAFA:では彫塑科に入った後、アニメーションをつくるようになったのは?
キム:大学に入って、彫塑を一生懸命やっていてアニメーションをやることになった理由は…漠然と関心はありました。でも簡単に作る考えはないじゃないですか。どうしようかと思って、視覚デザイン科の副専攻をしました。卒業する前にやりたいことをやらないと、と思って。それで弘益映像祭に卒業作品で「デコとボコの話/볼록이 이야기」を出し、今に至ります。

「デコとボコの話/볼록이 이야기」(2003 / 11'18" / Noodle)
KIAFA:「デコとボコの話/볼록이 이야기」はどうして作ることになったんですか?
キム:最初は特別な技術がなくて、でも作ることには自信があって、何をしようかと思っていたら、ピンスクリーン技法を知って。でもイメージを探してもなくて。その時代は、ただ、釘を何個か刺して撮ったという話だけで、どうやってやるか悩んでたら、麺が浮かんだんです。麺を積んで押せば形状が出るから似たような感じが出るんじゃないかと思って、パソコンもあまりできないから複雑な作業はできないから、ストップモーションをやることになりました。写真を撮って、つなげるのは難しくないじゃないですか。
KIAFA:卒制は制作期間が1年と長くないですよね。特に「デコとボコの話/볼록이 이야기」を作るのに時間がかかるのに、そういうことに対する負担や不安はなかったんですか?
キム:それで僕はわざと卒業しなかったんです。1単位だけ残して、あと1学期学ばなければと、副専攻を取りながらもう1年通いました。やはり初めてのことだったので「デコとボコの話」をつくるのに2年かかりました。誤差も多く、大学に9年通いました。軍隊に行った期間と休学した期間も含めて(笑)。30歳で卒業することになりました。
KIAFA:「デコとボコの話」は決して小さい規模ではないですよね。普通、卒業制作は1年、猶予で2年位みて作るけど、監督の作品は2年間で作ったんですね。
キム:弘益映像祭に3年の時に出すこともできました。「デコとボコの話」が10分で、前半5分は3年生の時に出し、後半5分は4年生の時に、2回出しました。それで演出賞をもらいました。その時受賞して、あちこちの映画祭に出品してみて、幸いにも反応が良かったんです。イギリスの映画祭プログラマーが僕の作品に関心を持ってくれて海外でも上映されて。上映もされ、僕の予想より反応が良かったけれど、以後、ずっとアニメーションをやる考えはなかったんです。その作品一つがうまくいったからってアニメーションに深入りするのは無理だと思いました。それで留まってしまい、何をして生きようかずっと考えていました。そうしていたら突然「所以然/소이연」のシナリオが浮かび上がりました。2~3年過ぎた頃でした。それでアニメーションをまた始めなきゃと思って大学院に入り、「所以然/소이연」を作りました。
だから、一言で、「僕はアニメーションで生きていく、またはこの道が僕の宿命だ」というのではなく、シナリオが浮かんだから作らないとという考えで今までやってきたんです。話が浮かんだから、作るんです。僕が今までに作ってきた作品、何作かあるけど、全て何か作らないととわざわざ捻り出した物ではありません。作品を作って、休んで、浮かび上がった話を紐解いて作り、また休んで、浮かんだ話を作り、この過程をずっと繰り返して来たんです。何か目的意識があったのではなく、とっても自然に続いてきました。

「所以然/소이연」(2007 / 10'18" / clay, puppet / 35mm film)
*インディ・アニフェスト2007で一般優秀賞を受賞した
KIAFA:シナリオが浮かべば作品を作るとおっしゃいましたが、今までされた作品を見ると、麺、土、木、木彫人形等材料を使っています。珍しい材料ですよね。シナリオを先に考えて、どんな材料で話を作るか決めるんですか?
キム:僕が彫塑科を出たのでアニメーション中ではストップモーションが一番合っていると思います。もちろん3Dや他の方法の作業もできると思うけれど、でも学ばなければならないし時間もかかるから、考えつくのをすぐに紐解けるのはストップモーションで、彫塑をしながら展示を見たり、直接制作をしながら材料をたくさん見て、使ってきたから、素材を選択したり、扱うのについてそう大して難しくはありません。それから僕は話を先に作っておいて、どんな材料で紐解くかを考えます。シナリオが先にあって、話に合わせて材料を選ぶ順序です。材料を選ぶのに、インスパイアーされるのは本です。哲学やインタビュー集、作品を終わらせ休んでいる間に家にいると、近所にある麻浦区立図書館によく行きます。
最初に考えていた短い感じの話をどの素材で組めば、うまく合うか考えながら徐々に発展させす。
KIAFA:お話を聞くと、監督の頭の中には各種類の素材のライブラリーが整理してあるようですね。
キム:そんなんじゃないですけどね。ストップモーションの材料を何にするかは決まってないじゃないですか。退屈だと植物図鑑や動物図鑑も見て、イメージで整理してある画集や本をたくさん見ます。展示会も見に行って。個人の美術作品を見るというよりは一定の事物、オブジェを中心に見ます。それに外からよく拾ってきます。今使っているテーブルも拾ってきました(笑)。
KIAFA:あ、そうなんですか。でも外から拾ってきても使わなければ荷物になるじゃないですか。うまく活用されますね。監督にはいつも勤勉なイメージがあります。前回、協会の総会に来る時も、今日は作業する分量があるから帰らないといけないっておっしゃっていたのもそうですし。毎日何時間ずつと決めておいて作業をするのは簡単なことではないじゃないですか。
キム:作品をつくる時間は一日6時間ずつ。学校に行って仕事をする日でも4時間位やります。一日でも休むと、やるのが億劫になるじゃないですか。休みたいし映画もみたいけど、我慢しながらやる方です。それに特別に他のことに神経を使って関心があるものがないので。お酒やタバコもやらず、家にTVもないから、年が40になったからかな…?と思ったこともあります。「所以然」をやる時は一日に8時間撮影しました。でも年とるとちょっと手に負えなくて。2時間やって1時間休んで、また2時間やって、前は4時間ずつ2回やったのに、今は2時間ずつ3回休みます。座って立ってを繰り返さなきゃいけないから、長いこと撮影していると集中力が落ちるんです。アニメートに影響するから休みながら撮影します。
KIAFA:作品を作るとき、プロジェクト単位で集中して進めると精神的に、肉体的に力がいるようですね。他の作品もそうですが、ストップモーションは特にそうじゃないですか。いつも動かないといけないし。
キム:コントロールをうまくしないと。管理しないで体を痛めると休まなきゃならないから、流れがとまる。普通1年半もかかるのに、その時間ほど規則的な生活をして最大級の管理をします。作品のシナリオ、撮影や動きをずっと考えながら制作する期間、頭から離れないようにしっかりとつかんでおきます。
KIAFA:そうやって集中していた作品が終わるとどんな気分ですか?
キム:精神が空っぽになります(笑)。今がそうです。心が空っぽな感じです。でもこの感じがイヤで他の作品を考えるというのではなく、アニメーションを楽しみながらやる方です。これを一生やるんだという考えはないです。そんな考えをする人々は真っ先に疲れてしまう場合が多いと思います。僕はそういう考えさえしたことがなく、それでプロジェクトが一つ終わるたびに何の考えもなしに休みます。1年くらい遊ぼうと思って休めば、また考えが浮かぶから、まだ若いから続けてやるけど、年とってくれば体力やアイデアが枯れる時期が来るかもしれないじゃないですか。それはその時の話だけど、話が浮かぶままに制作して2~3年に1作品は出るんじゃないかと思います。
KIAFA:制作している時、修正をよくする方ですか?
キム:いいえ、最初は考え付くままに変えずにいく方です。大きいコンセプトを決めておくだけで、ディテール部分は頭で決めてません。全ての場面を座って考えます。座ってコンピューターをつけて撮影を始めながら考えます。ホン・サンス監督(映画監督)がそうじゃないですか。大きなコンセプトで、前日に台詞を書いて現場で即興的に演出をしたり、僕もそういう方です。大きなコンセプトはあるけど、最初に企画する時、キャラクター達の行動を予め決めてはいません。撮影も順序通りに進行するから、その日その日キャラクターに感情移入して動きをつかんでいきます。だから僕の制作は短編でもあり、最初からそうやってきたから、よくない習慣だったかなと思ったこともあるけれど、良い悪いを通り越して、そういうスタイルだと思っています。もちろん長編や色んな人と一緒にやる作業なら変わってくるでしょう。だから撮影する時動きを決めるのでしょう。

「Noodle Fish」のストーリーボード
KIAFA:監督の天才性を密かに表す発案ではないでしょうか(笑)。
キム:天才性だなんてそんなことないですよ。天才なんていないと思いますよ。努力によって違ってくるでしょう。突然浮かんでくるのも頭の中にたくさんあるモノのうちから出てくるんであって、全く知らない所から知らないモノが突然浮かんでくるわけじゃないから。インスパイアーするのも勉強して、取得した豊富な地盤があってこそ、出てくると思います。僕みたいな場合はその時その時キャラクターに感情移入をして出てくる同一視をうまく使って動かすとうまく表すことができるようで。
「Noodle Fish」を制作し始めて、フグを飼ったといいます。
動きを観察しようと最初は3匹飼っていましたが、2匹飛び出し亡くなったそうです。
それで最後の1匹は海に放したそうです。
KIAFA:そうみると「Noodle Fish/오목어」の声の演技も直接な
さってますが、キャラクターへの感情移入がよりできそうです。
キム:「Noodle Fish」もそうですが「デコとボコの話/볼록이 이야기」と「網/그물/INDRA's Net」にも僕の声が入っています。声優を使ったことがあります。僕の欲のせいなのか分からないけれど、意図と結果物が少し違っていて。頭の中のイメージ通りに動かないと見る人に意図が充分に伝わらないから、それで一生懸命声優の練習をしました。もちろん他の人に頼んでもうまくできる場合もあるけれど、でも僕が作り出したキャラクターだから、僕が一番よく知っているでしょう。それに「Noodle Fish」の場合は僕が神の立場じゃないですか。僕が直接演出し、Noodle Fishを神の立場で捕まえて食べたりもするから、そうやって全てのことをやって、声も一緒にやることが全体的なコンセプトに合っていると思ったんです。

「網/그물/INDRA's Net」(2009 / 11'23" / puppet)
KIAFA:一人の人がいろんな声をやるのは易しいことじゃないですよね。大変だったことはなかったですか?
キム:幼い頃は夢が多いじゃないですか。100個の夢のうち声優もありました。アニメーションをやりながら幼い頃やりたかったことをたくさんやってみたようです。声優もし、演技もし、写真も撮り、舞台も作ってみて、美術に関連するたくさんのこともそうだけど、それが面白いです。他の作品作る時大変なことはなかったけれど、Noodle Fishを演技する時はちょっと大変でした。主人公が幼いからかわいくしないといけないから、普通声優達も2~3個位だけやって、それ以上はできないって。外国人も1つ、2~3個越える場合はほとんどないって。でも僕は完全に違って駆使する必要はなく、一人でやったという気配が少し出ないといけないから、意図したことと意図していないことが適切にうまく出たようです。それでキャラクター別に似たような感じがあるでしょう。色んな声をやるのに負担はありませんでした。
KIAFA:「Noodle Fish」にミミズが出てくるところの動きが印象的でした。直接ミミズを見て動きを参考にしたのか気になります。とってもリズミカルだったから。
キム:僕がホンデクラブに通っている時、5時間ずつ踊っていたことがあります。今はできないけれど、踊りに対して見識はあるから。僕がミミズならこういう踊りをするだろうなと想像しながら作り出した動きです。最初は絵を描いてやってみたんだけどうまくいかなくて。座って麺を押しながら、一コマ一コマ作りました。

実際に押して、しくみを説明してくれました。
KIAFA:監督の作品の中で「ミリャンアリラン」という作品があります。他の作品は見たんですが、この作品は見てません。
キム:中央大学先端映像科に通っている時共同で作った作品です。フィルモグラフィーにあるにはあるけれど、僕の作品というにはちょっと…。この作品もストップモーションだけどあまり覚えていない(笑)。
KIAFA:「監督語る」で「網」の後、木彫人形で他の作品を作るっておっしゃってたんですがどうなりました?
キム:支援を受けてTVシリーズを作りました。でも僕が作り出した話じゃなかったから、与えられたシナリオで作った作品でもあったので封印しました。だからあまり話すことないですね。実は作品制作の間に他の制作もしたりはしました。「ミリャンアリラン/밀양아리랑」もそうだし、間に作ったりはしたけど、そんなに愛情がわかなくて。
KIAFA:仏像が好きだと聞いたんですが仏教や東洋哲学に関心も多く、造詣も深いようですが、作品にそういった面がよく出るようですが。
キム:僕が宗教的なことに関心があります。教会にも行ってみたし、仏教にも行ってみたし、既成宗教について体験というか…体験してみました。その中で仏教が興味深くて。座禅もして、インド瞑想や、そういったものを10年くらいしました。でも行った後にアニメーションを本格的に始める前に大学生活をしながらやっていたので。それで僕は中学高校の時も僕一人で関心分野について勉強をした方です。友達はサッカーしているのに僕は本を読みながら勉強したり、大学の時も友達が作業している時、僕は他の所で他のことに没頭していたり、本をたくさん読みました。仏教やインド聖者達の本を読みながら色々考えました。出家をすることも考えたけど、実際お坊さんや牧師を思い浮かべると、そんなに信仰心がそんなに強いってわけでもなくて。他の人よりは関心が多いだけで、それ以上ではないと思い、決定的には、楽しまなきゃ、やりたいことをやらなければ、そう思って、本格的にアニメーションを始めたのです。20代に多くの時間をそっちの勉強したから自然に作品に反映されるんだと思います。
KIAFA:作品を見ても、そうだからおっしゃるのを聞いていると、何か一つのことにハマると粘り強く入り込むようですね。
キム:いえ、僕の考えでは適当にやるんだと思うんですけど。もっと完璧に全てのエネルギーを注げばいいのにと思うけど。少しやってはやめて、やってはやめて。僕は惜しいと思うけど他の人はそうは言わないでしょう。個人的にはもっとうまくやりたいのにダメなことが多いんです。僕が完ぺき主義者なら、もっといい作品を作ると思うけど、根気がないと思う。体力的にも弱いのも惜しいし、お酒飲めないのも体力が弱い証拠でしょ。他の人はお酒も飲んで遊びながら制作もうまいことやってるのに…。管理をなぜするか、体力が弱いからでしょう(笑)。
KIAFA:「たくさん遊んでみて」とおっしゃってたけど、どうやって遊んでたんですか?
キム:「遊んでみた」っていう言葉は人によって違うと思います。「やりたいことを全部やって暮らした」というのが「遊んだ」んだと思います。幼い時から両親が大学に行け、と言わず、僕が何かする時、やるなという言葉を聞いたことがなかったです。それで幼い頃から僕がやりたいことを全部やる方で、僕は、僕が好きでイヤなことを確実に分かっているんです。好きなことをするのが良いでしょう。やりたいことをやるのが死ぬ時に後悔しないと思う。遊んだといって、特別に宴会やお酒を楽しんだのではなくて。少し踊りはしたけど。3年間ホンデで踊りに通ったの以外は。
KIAFA:やりたいことをやるのは簡単なことではないですよね。考えが浮かんだら物語を紐解くんだとおっしゃったこともそうですが、脈絡があるようです。
キム:やりたいことがあれば、最大、オールインしなければ。僕も好きな事ができない時があったでしょう。それを自ら見ていると、あんな風に生きてはいけない、努力をするんです。努力して、紐解かなければいけない。好きなアニメーションをやることも重要だけど、それよりもどれくらい人間らしく幸せに生きるのか、ということが重要じゃないですか。だから修行する気持ちで~(笑)。
KIAFA:興味あることが多いようですね。他の方におススメしたい本や映画、アニメーションや、他の作品ありますか?
キム:すぐに浮かぶモノがないですね。音楽も一時期、奚琴にハマってやってたんですが、今はボンゴにハマっていて叩きながら聴いたりするけれど、元々はあまり聴かないです。無音、無臭の世界が好きだから。朝起きる時、何分か聴くだけです。本もそうだし、映画やアニメーションもいつも変わるから特にないです。興味は変わり続け、顔や性格も変わるのに、一つに決めておくのもちょっと。いつも変わるから難しいですね。

KIAFA:「所以然」と「Noodle Fish」の音楽を同じ方とされたようですね。特別な縁があるんですか?
キム:チャン・ヨンギュ氏です。映画音楽をされる方なんですが、長編映画を主に多くやられています。有名な方です。弘大に「オーブプロジェクト」とうのがあります。1所帯2人のバンドだったんだけれど、メンバーの一人がペク・ヒョンジン氏といって僕の同級生でした。「所以然」を作る時、その人に音楽やってくれる人いないかと訊いて紹介受けたんです。僕の作品に、伽倻琴で音楽を作ってくれました。他の監督もそうでしょうが、音楽監督と長くやっていくケースがあります。特にお互い話をしながら修正するということはせず、もらったらそのまま使います。よく合っていると思います。次の作品の話やコンセプトがどうなるかわからないけれど、また一緒にやりたいと思っています。
KIAFA:主に一人で制作していらっしゃいますが、作品について助言や意見をくれる人はいますか?
キム:家内がよくしてくれます。最初にコンセプトをつかむ時と最後に編集する時、モニターリングをします。僕よりもっと完璧主義者なんです。元々、人々と一緒に疎通しながら作品を作りたいんですが、それだけの情熱がないみたいで。でも考えてみれば、そうするって言っても、何かが大きく変わるようには思えず…。次の作品を制作する時、うまくやろうと、そんな感じです。
KIAFA:共同制作をしてみようとは?
キム:特別に長編をやるんじゃなければ、一緒にやる理由がないと思います。そうだとして、長編ができる条件もないし、長編をやる考えもないし、僕のスタイルがプロジェクト概念だから、一緒にやることを考えたこともないです。手伝ってもらうというのも容易いことじゃないし。短所長所があるようです。一緒にやれば合わせなければいけないこともあるし、一つのところに集まらないといけないから、時間や空間的に消耗することも多いし、作品を作りながらお互い刺激を受け合ったりする方達もいるし、僕は仕事する時間が決まっていて、その時間に合わせて制作するから。
KIAFA:仕事の話が出たところで、ソンファ芸術高校で彫塑を教えていますね。仕事を始めたきっかけは?
キム:元々、教える仕事に興味がありました。直接教えるのが好きでした。大学の時、教職を履修したんですが、学科の先生を想像したら僕と合わないみたいで。実技を教えながら僕の制作をする姿が理想でした。画塾をやりながら大学に通い、予備校で素描や彫塑を教えるアルバイトをずっとやっていました。そうしているうちに30歳の時、支援を受けて学校に入学することになりました。学校に通うことが殆ど唯一の社会生活です。家で殆ど制作をして、本を読むために図書館に行く以外は。本もそう多く読むわけじゃないけど。制作が終わって休息する次元で。
KIAFA:では作品が終わって、休む時に計画して旅行に行ったり、特別に計画して実行することはありますか?壁にある写真をみると旅行に行った時に撮った写真がありますが。
キム:ないです。家でただ休みます。その写真は新婚旅行の写真です。それ以降は行ってません(笑)家内はよく行きますね。窓が大きいから、家に入ってくる光で光合成をしながら本を読んだり、近所を散歩する程度。
KIAFA:まだ作品制作が終わってそんなに経ってないですけど、次の作品について考えている話がありますか?
キム:あることはあります。両生類と爬虫類についての話なんですが、今はよくわからないです。何個かあるんだけれど、後でどうなるかわからないです。
KIAFA:監督のHPをみてみたんですが、閉まってました。どうしたんですか?
キム:HPやってくれてる人は知り合いなんですが、詐欺にあって辞めてしまったようで、連絡もできず、それでブログを新しく作りました。遊びに来てくださ~い!
KIAFA:地下で制作をしていたら規則的な生活をしない場合が多いと思うんですが、監督は違うようですね。
キム:家から通っていたから、作業場が地下にあっても規則的に生活するようになりました。両親が規則的な生活をしていて、朝早く起きて、ご飯を食べて作業場に行っていた、朝食を抜かすことは殆どなかったです。
KIAFA:監督にとって素麺とは?
キム:良い質問だけど、言う事がないですね(笑)。
素麺は…世界だ、「Noodle Fish」を制作しながら素麺でデコボコ魚や水の中の世界を見せなきゃとやっていたでしょう。一筋ではあるけれど、作品をつくりながらどうやればうまく表現できるかたくさん考えました。

「Noodle Fish / 오목어」(2012 / 9'46" / Pixilation, etc[Noodle pin-screen])
KIAFA:監督にとって木とは?
キム:転換点と言わなきゃいけないかな「われらの天国」というドラマでイ・スンヨンが木彫をする姿をみて、彫塑を始めたし、本格的にアニメーションをすることになった作品「所以然」も木で作ったし、家内に出会ったのも木と縁がありました。目の前に見えるワウ山で、山に登っていたら、家内が家に植えてた植物が枯れて山に埋めに行った帰りに山を降りてくる途中で出会ったのですが、降りてくる姿がきれいで、今、こうやって結婚までして。人生の中で要所要所で転換点だったと思います。
KIAFA:最後に「ジンマンらしさ」という言葉を作るとしたらどんな意味でしょうか?
キム:良く言えば自慢みたいになるし、難しいね。静かに話す?!程度。騒々しくないが、やりたいことをしながら生きるから、意味をつけるとしたら、これが合うと思います。
快くインタビューに答えていただき、おいしい食事を準備してくださった監督と奥様に心から感謝します。

■キム・ジンマンKIM Jin-man
・Biography
2003 弘益大学美術大学彫塑、視覚デザイン科卒業
2005 中央大学先端映像大学院映像芸術学科アニメーション制作専攻
現在:ソンファ芸術高校美術部講師、韓国アニメーション協会会員、弘益彫刻会会員
B01 Project Animation ストップモーションアニメーション監督
・Filmography
2003 「デコとボコの話/볼록이 이야기/Bologee story」
2007 「所以然/소이연/Soeyoun」
2009 「網/그물/INDRA's Net」
2012 「Noodle Fish/でこぼこ魚/오목어」
(2012年3月8日 KIAFA CAFEより)
花コリ2013東京会場ゲストのキム・ジンマン監督のスタジオをKIAFAスタッフが見学に行きました。
その時のレポートです。
2011年9月には、インディ・アニフェスト2011で海外ゲストとして渡韓していた水江未来さんと花コリスタッフがキム・ジンマン監督のスタジオにお邪魔しました。その時の訪問記は別の記事でアップします。
KIAFA:ご招待ありがとうございます。来てみたかったんですが、スタジオがご自宅だったので…。
キム・ジンマン(以下キム):ええ、自宅がスタジオだから気を使うかもと思っていました。結婚前一人でスタジオを使っていた時、他のスタジオみたいな雰囲気が出ていたんですが、今は生活している家で撮影をする空間だけ、別に区別して買っている状態で、そんなにお見せするものも多くなくて、招待してお見せするのもちょっと恥ずかしいなって、お断りしていたんです。今は撮影も終わって、余裕があるので(笑)。
KIAFA:監督のスタジオの名前が<B01 Project Animation>ですね。地下に作業部屋があった時の名前だったと思うんですが、地上に上がってきて、光を浴びるようになってけっこう経つと思うんですが、ずっと使っているところをみると特別な意味があるみたいですね。
キム:最初に地下で制作を始めました。B01号でした。特に名前をつけようとは思ってなかったんです。それで、空間を作業場の名前にしよう!スタジオを地下に選んだ理由も、ストップモーションでアニメーティングをしようとすると、窓のない暗い空間だといいな、って、地下という空間が与えるイメージ、またアンダーグラウンドのような感じがする私の制作スタイルととっても似ていると思い、B01にしました。今は地下から地上に上がったんですが、変わったことは確かですね。5階に上がりました。同じ建物で、地下で一生懸命やっていた地下生活者としての精神はずっと続いているので、特に他の名前に変えはしませんでした。
KIAFA:地下から5階に上がった時はどうでしたか?
キム:人々は、日が昇ると気分がよく、日が沈むと嫌だというじゃないですか。僕はそれを知らずに暮らしました。日が昇る時に地下に来て制作し、夜に家に帰る生活を繰り返していて、個人的に、薄暗い天気が好きだったりもし、不安はなかったです。結婚前はそうでした。でも結婚して、上がってきて、日の光をたくさん見るじゃないですか。いいですね。本格的にお日様が好きになり始めました(笑)
KIAFA:では次の作品にも続けて使うお考えですか?
キム:ええ、場所は移動しても、その心意気は続けるつもりです。
KIAFA:同じ建物だったんですね。
キム:2005年に入ったので。地下で5年、地上で3年。
KIAFA:ではProject Animationの意味は?
キム:僕の制作スタイルが特に外注せず、個人制作だけをずっとやってきたから、スタジオという概念よりは、作品のたびに周期がある<プロジェクト>の概念がより合っていると思って。続くけど、一つ一つ区切って、制作しようという趣旨もあり、生業じゃないからスタジオという名前はちょっと重くて。
KIAFA:そんな深い意味があったとは。では本格的に質問に入ります。アニメーションを始めたきっかけは?「監督語る」で少し話された内容ですが、彫塑科に入り、アニメーションをやるようになったのかについて詳しい話はなかったので。
キム:子どもの頃アニメーションが好きでした。特に「スマーフ/The Smurfs」と「シンドバッドの冒険」が好きでした。「シンドバッドの冒険」は日本で作られたのかな?
KIAFA:ディズニーでも作ってると思うけど。この時、監督の奥さんが登場
奥さん:たぶん劇場用アニメーションをディズニーで作って、TVで放映されたシリーズは日本で作ったんじゃない?(*TVシリーズは1975年~1976年フジテレビ系で放送、全52話)
KIAFA:あ、そうだったんですね。専門家ですね!
「監督語る」では日本のアニメーションが好きだと。
キム:特に好きってわけじゃないけど、明るい感じのモノや冒険するアニメーションが好きでした。だから「銀河鉄道999」(松本零士原作)はあまり好きではありませんでした。「けろっこデメタン」(1973年フジテレビ系列全39話タツノコプロ)も。高校に上がりながら思春期があり、その時は何故かアニメーションをあまり見ないじゃないですか。その時期は大学に行く考えはありませんでした。特別な理由があるわけじゃなく、家庭の財政がよくなかったっていうのもあり、商売をしようと思っていました。焼き芋を売ってみたり、アルバイトもたくさんして、事業に夢を託していました。そんな風に美術には夢にも思わなかったのに、高3の時、家の事情が少し良くなり始めました。状況が少し良くなったので、美術をやってもいいなと思って、それから美大の予備校に通い、美大入試勉強をしました。もちろん幼い頃、絵はたくさん描きました。学校で先生に認められたりしたけれど、家の事情上できなかっただけで、また始めるのにそんなに難しくはありませんでした。
KIAFA:絵をたくさん描いていたということですが彫塑科にはどういった理由で入ったんですか?
キム:絵を描くのも好きだったけれど、作ることも好きでした。その当時「われらの天国/우리들의 천국」(1990年MBC)というドラマがあったんですが、ミスコリアになってすぐに主演に抜擢されたイ・スンヨンが彫塑科の学生として出てきます。その姿を見て、あ!これだ!と思い、それから彫塑科に入らなきゃと思った。その前は水彩画を描いていて、彫塑科があることも知りませんでした。そのドラマを見て、僕も彫刻をやらなきゃと思い、高3の夏に突然彫塑科を目標に変えて入試準備をすることになりました。
KIAFA:高3の夏なら時間もないのに焦ったでしょう。
キム:遅かったから切迫していました。切迫していたら早く上達したってことも(笑)。
KIAFA:ものすごくドラマティックですね、意外でした。
キム:でしょう。その前は美術を諦めていたけど高3の時に急展開がありました。美大入試も遅れて始めたけど、勉強もその時から始めたし。高校もお金を稼ぐつもりで工業高校に通い、あたふたと教科書から買いました(笑)。他の友達は就職準備する時、僕は美大準備を始めたから、異質でしょう。
KIAFA:事業をやる考えで続けていたら、どうなってたと思いますか?
キム:その道で行ってたら、、弘大の前でカフェを開いていたでしょうね。
KIAFA:今始めても大丈夫だと思います。料理も上手だし、盛り付けもきれいだと思いますよ。
キム:カフェやろうかな?チャーハンのお店をやろうか?そんな風に悩んだ時もあります(笑)
KIAFA:以前事務局を移転する時、電機方面を見てくれるって言ってたのも高校の時の経歴があるからだったんですね。
キム:ええ、電機科を出ました。資格もあります。高校上がる時、電機科に行った理由があります。大学に行くつもりはなかったけど、手が器用になりたくて。それで手で出来るものを探して電機科に入りました。
KIAFA:では彫塑科に入った後、アニメーションをつくるようになったのは?
キム:大学に入って、彫塑を一生懸命やっていてアニメーションをやることになった理由は…漠然と関心はありました。でも簡単に作る考えはないじゃないですか。どうしようかと思って、視覚デザイン科の副専攻をしました。卒業する前にやりたいことをやらないと、と思って。それで弘益映像祭に卒業作品で「デコとボコの話/볼록이 이야기」を出し、今に至ります。

「デコとボコの話/볼록이 이야기」(2003 / 11'18" / Noodle)
KIAFA:「デコとボコの話/볼록이 이야기」はどうして作ることになったんですか?
キム:最初は特別な技術がなくて、でも作ることには自信があって、何をしようかと思っていたら、ピンスクリーン技法を知って。でもイメージを探してもなくて。その時代は、ただ、釘を何個か刺して撮ったという話だけで、どうやってやるか悩んでたら、麺が浮かんだんです。麺を積んで押せば形状が出るから似たような感じが出るんじゃないかと思って、パソコンもあまりできないから複雑な作業はできないから、ストップモーションをやることになりました。写真を撮って、つなげるのは難しくないじゃないですか。
KIAFA:卒制は制作期間が1年と長くないですよね。特に「デコとボコの話/볼록이 이야기」を作るのに時間がかかるのに、そういうことに対する負担や不安はなかったんですか?
キム:それで僕はわざと卒業しなかったんです。1単位だけ残して、あと1学期学ばなければと、副専攻を取りながらもう1年通いました。やはり初めてのことだったので「デコとボコの話」をつくるのに2年かかりました。誤差も多く、大学に9年通いました。軍隊に行った期間と休学した期間も含めて(笑)。30歳で卒業することになりました。
KIAFA:「デコとボコの話」は決して小さい規模ではないですよね。普通、卒業制作は1年、猶予で2年位みて作るけど、監督の作品は2年間で作ったんですね。
キム:弘益映像祭に3年の時に出すこともできました。「デコとボコの話」が10分で、前半5分は3年生の時に出し、後半5分は4年生の時に、2回出しました。それで演出賞をもらいました。その時受賞して、あちこちの映画祭に出品してみて、幸いにも反応が良かったんです。イギリスの映画祭プログラマーが僕の作品に関心を持ってくれて海外でも上映されて。上映もされ、僕の予想より反応が良かったけれど、以後、ずっとアニメーションをやる考えはなかったんです。その作品一つがうまくいったからってアニメーションに深入りするのは無理だと思いました。それで留まってしまい、何をして生きようかずっと考えていました。そうしていたら突然「所以然/소이연」のシナリオが浮かび上がりました。2~3年過ぎた頃でした。それでアニメーションをまた始めなきゃと思って大学院に入り、「所以然/소이연」を作りました。
だから、一言で、「僕はアニメーションで生きていく、またはこの道が僕の宿命だ」というのではなく、シナリオが浮かんだから作らないとという考えで今までやってきたんです。話が浮かんだから、作るんです。僕が今までに作ってきた作品、何作かあるけど、全て何か作らないととわざわざ捻り出した物ではありません。作品を作って、休んで、浮かび上がった話を紐解いて作り、また休んで、浮かんだ話を作り、この過程をずっと繰り返して来たんです。何か目的意識があったのではなく、とっても自然に続いてきました。

「所以然/소이연」(2007 / 10'18" / clay, puppet / 35mm film)
*インディ・アニフェスト2007で一般優秀賞を受賞した
KIAFA:シナリオが浮かべば作品を作るとおっしゃいましたが、今までされた作品を見ると、麺、土、木、木彫人形等材料を使っています。珍しい材料ですよね。シナリオを先に考えて、どんな材料で話を作るか決めるんですか?
キム:僕が彫塑科を出たのでアニメーション中ではストップモーションが一番合っていると思います。もちろん3Dや他の方法の作業もできると思うけれど、でも学ばなければならないし時間もかかるから、考えつくのをすぐに紐解けるのはストップモーションで、彫塑をしながら展示を見たり、直接制作をしながら材料をたくさん見て、使ってきたから、素材を選択したり、扱うのについてそう大して難しくはありません。それから僕は話を先に作っておいて、どんな材料で紐解くかを考えます。シナリオが先にあって、話に合わせて材料を選ぶ順序です。材料を選ぶのに、インスパイアーされるのは本です。哲学やインタビュー集、作品を終わらせ休んでいる間に家にいると、近所にある麻浦区立図書館によく行きます。
最初に考えていた短い感じの話をどの素材で組めば、うまく合うか考えながら徐々に発展させす。
KIAFA:お話を聞くと、監督の頭の中には各種類の素材のライブラリーが整理してあるようですね。
キム:そんなんじゃないですけどね。ストップモーションの材料を何にするかは決まってないじゃないですか。退屈だと植物図鑑や動物図鑑も見て、イメージで整理してある画集や本をたくさん見ます。展示会も見に行って。個人の美術作品を見るというよりは一定の事物、オブジェを中心に見ます。それに外からよく拾ってきます。今使っているテーブルも拾ってきました(笑)。
KIAFA:あ、そうなんですか。でも外から拾ってきても使わなければ荷物になるじゃないですか。うまく活用されますね。監督にはいつも勤勉なイメージがあります。前回、協会の総会に来る時も、今日は作業する分量があるから帰らないといけないっておっしゃっていたのもそうですし。毎日何時間ずつと決めておいて作業をするのは簡単なことではないじゃないですか。
キム:作品をつくる時間は一日6時間ずつ。学校に行って仕事をする日でも4時間位やります。一日でも休むと、やるのが億劫になるじゃないですか。休みたいし映画もみたいけど、我慢しながらやる方です。それに特別に他のことに神経を使って関心があるものがないので。お酒やタバコもやらず、家にTVもないから、年が40になったからかな…?と思ったこともあります。「所以然」をやる時は一日に8時間撮影しました。でも年とるとちょっと手に負えなくて。2時間やって1時間休んで、また2時間やって、前は4時間ずつ2回やったのに、今は2時間ずつ3回休みます。座って立ってを繰り返さなきゃいけないから、長いこと撮影していると集中力が落ちるんです。アニメートに影響するから休みながら撮影します。
KIAFA:作品を作るとき、プロジェクト単位で集中して進めると精神的に、肉体的に力がいるようですね。他の作品もそうですが、ストップモーションは特にそうじゃないですか。いつも動かないといけないし。
キム:コントロールをうまくしないと。管理しないで体を痛めると休まなきゃならないから、流れがとまる。普通1年半もかかるのに、その時間ほど規則的な生活をして最大級の管理をします。作品のシナリオ、撮影や動きをずっと考えながら制作する期間、頭から離れないようにしっかりとつかんでおきます。
KIAFA:そうやって集中していた作品が終わるとどんな気分ですか?
キム:精神が空っぽになります(笑)。今がそうです。心が空っぽな感じです。でもこの感じがイヤで他の作品を考えるというのではなく、アニメーションを楽しみながらやる方です。これを一生やるんだという考えはないです。そんな考えをする人々は真っ先に疲れてしまう場合が多いと思います。僕はそういう考えさえしたことがなく、それでプロジェクトが一つ終わるたびに何の考えもなしに休みます。1年くらい遊ぼうと思って休めば、また考えが浮かぶから、まだ若いから続けてやるけど、年とってくれば体力やアイデアが枯れる時期が来るかもしれないじゃないですか。それはその時の話だけど、話が浮かぶままに制作して2~3年に1作品は出るんじゃないかと思います。
KIAFA:制作している時、修正をよくする方ですか?
キム:いいえ、最初は考え付くままに変えずにいく方です。大きいコンセプトを決めておくだけで、ディテール部分は頭で決めてません。全ての場面を座って考えます。座ってコンピューターをつけて撮影を始めながら考えます。ホン・サンス監督(映画監督)がそうじゃないですか。大きなコンセプトで、前日に台詞を書いて現場で即興的に演出をしたり、僕もそういう方です。大きなコンセプトはあるけど、最初に企画する時、キャラクター達の行動を予め決めてはいません。撮影も順序通りに進行するから、その日その日キャラクターに感情移入して動きをつかんでいきます。だから僕の制作は短編でもあり、最初からそうやってきたから、よくない習慣だったかなと思ったこともあるけれど、良い悪いを通り越して、そういうスタイルだと思っています。もちろん長編や色んな人と一緒にやる作業なら変わってくるでしょう。だから撮影する時動きを決めるのでしょう。

「Noodle Fish」のストーリーボード
KIAFA:監督の天才性を密かに表す発案ではないでしょうか(笑)。
キム:天才性だなんてそんなことないですよ。天才なんていないと思いますよ。努力によって違ってくるでしょう。突然浮かんでくるのも頭の中にたくさんあるモノのうちから出てくるんであって、全く知らない所から知らないモノが突然浮かんでくるわけじゃないから。インスパイアーするのも勉強して、取得した豊富な地盤があってこそ、出てくると思います。僕みたいな場合はその時その時キャラクターに感情移入をして出てくる同一視をうまく使って動かすとうまく表すことができるようで。
「Noodle Fish」を制作し始めて、フグを飼ったといいます。
動きを観察しようと最初は3匹飼っていましたが、2匹飛び出し亡くなったそうです。
それで最後の1匹は海に放したそうです。
KIAFA:そうみると「Noodle Fish/오목어」の声の演技も直接な
さってますが、キャラクターへの感情移入がよりできそうです。
キム:「Noodle Fish」もそうですが「デコとボコの話/볼록이 이야기」と「網/그물/INDRA's Net」にも僕の声が入っています。声優を使ったことがあります。僕の欲のせいなのか分からないけれど、意図と結果物が少し違っていて。頭の中のイメージ通りに動かないと見る人に意図が充分に伝わらないから、それで一生懸命声優の練習をしました。もちろん他の人に頼んでもうまくできる場合もあるけれど、でも僕が作り出したキャラクターだから、僕が一番よく知っているでしょう。それに「Noodle Fish」の場合は僕が神の立場じゃないですか。僕が直接演出し、Noodle Fishを神の立場で捕まえて食べたりもするから、そうやって全てのことをやって、声も一緒にやることが全体的なコンセプトに合っていると思ったんです。

「網/그물/INDRA's Net」(2009 / 11'23" / puppet)
KIAFA:一人の人がいろんな声をやるのは易しいことじゃないですよね。大変だったことはなかったですか?
キム:幼い頃は夢が多いじゃないですか。100個の夢のうち声優もありました。アニメーションをやりながら幼い頃やりたかったことをたくさんやってみたようです。声優もし、演技もし、写真も撮り、舞台も作ってみて、美術に関連するたくさんのこともそうだけど、それが面白いです。他の作品作る時大変なことはなかったけれど、Noodle Fishを演技する時はちょっと大変でした。主人公が幼いからかわいくしないといけないから、普通声優達も2~3個位だけやって、それ以上はできないって。外国人も1つ、2~3個越える場合はほとんどないって。でも僕は完全に違って駆使する必要はなく、一人でやったという気配が少し出ないといけないから、意図したことと意図していないことが適切にうまく出たようです。それでキャラクター別に似たような感じがあるでしょう。色んな声をやるのに負担はありませんでした。
KIAFA:「Noodle Fish」にミミズが出てくるところの動きが印象的でした。直接ミミズを見て動きを参考にしたのか気になります。とってもリズミカルだったから。
キム:僕がホンデクラブに通っている時、5時間ずつ踊っていたことがあります。今はできないけれど、踊りに対して見識はあるから。僕がミミズならこういう踊りをするだろうなと想像しながら作り出した動きです。最初は絵を描いてやってみたんだけどうまくいかなくて。座って麺を押しながら、一コマ一コマ作りました。

実際に押して、しくみを説明してくれました。
KIAFA:監督の作品の中で「ミリャンアリラン」という作品があります。他の作品は見たんですが、この作品は見てません。
キム:中央大学先端映像科に通っている時共同で作った作品です。フィルモグラフィーにあるにはあるけれど、僕の作品というにはちょっと…。この作品もストップモーションだけどあまり覚えていない(笑)。
KIAFA:「監督語る」で「網」の後、木彫人形で他の作品を作るっておっしゃってたんですがどうなりました?
キム:支援を受けてTVシリーズを作りました。でも僕が作り出した話じゃなかったから、与えられたシナリオで作った作品でもあったので封印しました。だからあまり話すことないですね。実は作品制作の間に他の制作もしたりはしました。「ミリャンアリラン/밀양아리랑」もそうだし、間に作ったりはしたけど、そんなに愛情がわかなくて。
KIAFA:仏像が好きだと聞いたんですが仏教や東洋哲学に関心も多く、造詣も深いようですが、作品にそういった面がよく出るようですが。
キム:僕が宗教的なことに関心があります。教会にも行ってみたし、仏教にも行ってみたし、既成宗教について体験というか…体験してみました。その中で仏教が興味深くて。座禅もして、インド瞑想や、そういったものを10年くらいしました。でも行った後にアニメーションを本格的に始める前に大学生活をしながらやっていたので。それで僕は中学高校の時も僕一人で関心分野について勉強をした方です。友達はサッカーしているのに僕は本を読みながら勉強したり、大学の時も友達が作業している時、僕は他の所で他のことに没頭していたり、本をたくさん読みました。仏教やインド聖者達の本を読みながら色々考えました。出家をすることも考えたけど、実際お坊さんや牧師を思い浮かべると、そんなに信仰心がそんなに強いってわけでもなくて。他の人よりは関心が多いだけで、それ以上ではないと思い、決定的には、楽しまなきゃ、やりたいことをやらなければ、そう思って、本格的にアニメーションを始めたのです。20代に多くの時間をそっちの勉強したから自然に作品に反映されるんだと思います。
KIAFA:作品を見ても、そうだからおっしゃるのを聞いていると、何か一つのことにハマると粘り強く入り込むようですね。
キム:いえ、僕の考えでは適当にやるんだと思うんですけど。もっと完璧に全てのエネルギーを注げばいいのにと思うけど。少しやってはやめて、やってはやめて。僕は惜しいと思うけど他の人はそうは言わないでしょう。個人的にはもっとうまくやりたいのにダメなことが多いんです。僕が完ぺき主義者なら、もっといい作品を作ると思うけど、根気がないと思う。体力的にも弱いのも惜しいし、お酒飲めないのも体力が弱い証拠でしょ。他の人はお酒も飲んで遊びながら制作もうまいことやってるのに…。管理をなぜするか、体力が弱いからでしょう(笑)。
KIAFA:「たくさん遊んでみて」とおっしゃってたけど、どうやって遊んでたんですか?
キム:「遊んでみた」っていう言葉は人によって違うと思います。「やりたいことを全部やって暮らした」というのが「遊んだ」んだと思います。幼い時から両親が大学に行け、と言わず、僕が何かする時、やるなという言葉を聞いたことがなかったです。それで幼い頃から僕がやりたいことを全部やる方で、僕は、僕が好きでイヤなことを確実に分かっているんです。好きなことをするのが良いでしょう。やりたいことをやるのが死ぬ時に後悔しないと思う。遊んだといって、特別に宴会やお酒を楽しんだのではなくて。少し踊りはしたけど。3年間ホンデで踊りに通ったの以外は。
KIAFA:やりたいことをやるのは簡単なことではないですよね。考えが浮かんだら物語を紐解くんだとおっしゃったこともそうですが、脈絡があるようです。
キム:やりたいことがあれば、最大、オールインしなければ。僕も好きな事ができない時があったでしょう。それを自ら見ていると、あんな風に生きてはいけない、努力をするんです。努力して、紐解かなければいけない。好きなアニメーションをやることも重要だけど、それよりもどれくらい人間らしく幸せに生きるのか、ということが重要じゃないですか。だから修行する気持ちで~(笑)。
KIAFA:興味あることが多いようですね。他の方におススメしたい本や映画、アニメーションや、他の作品ありますか?
キム:すぐに浮かぶモノがないですね。音楽も一時期、奚琴にハマってやってたんですが、今はボンゴにハマっていて叩きながら聴いたりするけれど、元々はあまり聴かないです。無音、無臭の世界が好きだから。朝起きる時、何分か聴くだけです。本もそうだし、映画やアニメーションもいつも変わるから特にないです。興味は変わり続け、顔や性格も変わるのに、一つに決めておくのもちょっと。いつも変わるから難しいですね。

KIAFA:「所以然」と「Noodle Fish」の音楽を同じ方とされたようですね。特別な縁があるんですか?
キム:チャン・ヨンギュ氏です。映画音楽をされる方なんですが、長編映画を主に多くやられています。有名な方です。弘大に「オーブプロジェクト」とうのがあります。1所帯2人のバンドだったんだけれど、メンバーの一人がペク・ヒョンジン氏といって僕の同級生でした。「所以然」を作る時、その人に音楽やってくれる人いないかと訊いて紹介受けたんです。僕の作品に、伽倻琴で音楽を作ってくれました。他の監督もそうでしょうが、音楽監督と長くやっていくケースがあります。特にお互い話をしながら修正するということはせず、もらったらそのまま使います。よく合っていると思います。次の作品の話やコンセプトがどうなるかわからないけれど、また一緒にやりたいと思っています。
KIAFA:主に一人で制作していらっしゃいますが、作品について助言や意見をくれる人はいますか?
キム:家内がよくしてくれます。最初にコンセプトをつかむ時と最後に編集する時、モニターリングをします。僕よりもっと完璧主義者なんです。元々、人々と一緒に疎通しながら作品を作りたいんですが、それだけの情熱がないみたいで。でも考えてみれば、そうするって言っても、何かが大きく変わるようには思えず…。次の作品を制作する時、うまくやろうと、そんな感じです。
KIAFA:共同制作をしてみようとは?
キム:特別に長編をやるんじゃなければ、一緒にやる理由がないと思います。そうだとして、長編ができる条件もないし、長編をやる考えもないし、僕のスタイルがプロジェクト概念だから、一緒にやることを考えたこともないです。手伝ってもらうというのも容易いことじゃないし。短所長所があるようです。一緒にやれば合わせなければいけないこともあるし、一つのところに集まらないといけないから、時間や空間的に消耗することも多いし、作品を作りながらお互い刺激を受け合ったりする方達もいるし、僕は仕事する時間が決まっていて、その時間に合わせて制作するから。
KIAFA:仕事の話が出たところで、ソンファ芸術高校で彫塑を教えていますね。仕事を始めたきっかけは?
キム:元々、教える仕事に興味がありました。直接教えるのが好きでした。大学の時、教職を履修したんですが、学科の先生を想像したら僕と合わないみたいで。実技を教えながら僕の制作をする姿が理想でした。画塾をやりながら大学に通い、予備校で素描や彫塑を教えるアルバイトをずっとやっていました。そうしているうちに30歳の時、支援を受けて学校に入学することになりました。学校に通うことが殆ど唯一の社会生活です。家で殆ど制作をして、本を読むために図書館に行く以外は。本もそう多く読むわけじゃないけど。制作が終わって休息する次元で。
KIAFA:では作品が終わって、休む時に計画して旅行に行ったり、特別に計画して実行することはありますか?壁にある写真をみると旅行に行った時に撮った写真がありますが。
キム:ないです。家でただ休みます。その写真は新婚旅行の写真です。それ以降は行ってません(笑)家内はよく行きますね。窓が大きいから、家に入ってくる光で光合成をしながら本を読んだり、近所を散歩する程度。
KIAFA:まだ作品制作が終わってそんなに経ってないですけど、次の作品について考えている話がありますか?
キム:あることはあります。両生類と爬虫類についての話なんですが、今はよくわからないです。何個かあるんだけれど、後でどうなるかわからないです。
KIAFA:監督のHPをみてみたんですが、閉まってました。どうしたんですか?
キム:HPやってくれてる人は知り合いなんですが、詐欺にあって辞めてしまったようで、連絡もできず、それでブログを新しく作りました。遊びに来てくださ~い!
KIAFA:地下で制作をしていたら規則的な生活をしない場合が多いと思うんですが、監督は違うようですね。
キム:家から通っていたから、作業場が地下にあっても規則的に生活するようになりました。両親が規則的な生活をしていて、朝早く起きて、ご飯を食べて作業場に行っていた、朝食を抜かすことは殆どなかったです。
KIAFA:監督にとって素麺とは?
キム:良い質問だけど、言う事がないですね(笑)。
素麺は…世界だ、「Noodle Fish」を制作しながら素麺でデコボコ魚や水の中の世界を見せなきゃとやっていたでしょう。一筋ではあるけれど、作品をつくりながらどうやればうまく表現できるかたくさん考えました。

「Noodle Fish / 오목어」(2012 / 9'46" / Pixilation, etc[Noodle pin-screen])
KIAFA:監督にとって木とは?
キム:転換点と言わなきゃいけないかな「われらの天国」というドラマでイ・スンヨンが木彫をする姿をみて、彫塑を始めたし、本格的にアニメーションをすることになった作品「所以然」も木で作ったし、家内に出会ったのも木と縁がありました。目の前に見えるワウ山で、山に登っていたら、家内が家に植えてた植物が枯れて山に埋めに行った帰りに山を降りてくる途中で出会ったのですが、降りてくる姿がきれいで、今、こうやって結婚までして。人生の中で要所要所で転換点だったと思います。
KIAFA:最後に「ジンマンらしさ」という言葉を作るとしたらどんな意味でしょうか?
キム:良く言えば自慢みたいになるし、難しいね。静かに話す?!程度。騒々しくないが、やりたいことをしながら生きるから、意味をつけるとしたら、これが合うと思います。
快くインタビューに答えていただき、おいしい食事を準備してくださった監督と奥様に心から感謝します。

■キム・ジンマンKIM Jin-man
・Biography
2003 弘益大学美術大学彫塑、視覚デザイン科卒業
2005 中央大学先端映像大学院映像芸術学科アニメーション制作専攻
現在:ソンファ芸術高校美術部講師、韓国アニメーション協会会員、弘益彫刻会会員
B01 Project Animation ストップモーションアニメーション監督
・Filmography
2003 「デコとボコの話/볼록이 이야기/Bologee story」
2007 「所以然/소이연/Soeyoun」
2009 「網/그물/INDRA's Net」
2012 「Noodle Fish/でこぼこ魚/오목어」
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