花コリ2017東京会場『父の部屋』チャン・ナリ監督トーク録

ゲスト・トーク「作品に込められた想い」
4月23日(日)17:00- 短編プログラム1 上映終了後
ゲスト: チャン・ナリ(『父の部屋』監督)
パネリスト: 横田正夫(医学博士、博士[心理学])
通訳:田中恵美



<作品をつくるきっかけ>

横田:チャン・ナリさんの作品『父の部屋』は、去年のインディ・アニフェストで拝見して非常に感動した記憶があります。その時に少しお話を伺って、今回、日本でまたお話しができることを、とても光栄に思っております。作品について、身近な体験を描いているということなので、まず制作のきっかけをお聞きしたいと思います。



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『父の部屋/아버지의 방/MY FATHER'S ROOM』
2016/08:16/2D
彼女は幼いころから、父親の虐待を受けていた。
父親と離れて暮らすうち、彼女は幼いころの傷や父親への憎しみをも、少しずつ忘れていく。
しかしある日、思いがけず、家族に見捨てられた父親との時間を思い出し、混乱していく。



チャン:私の人生の中で最も強烈だったイメージを、表現した作品です。人が表現したものに対して、その中に自分が経験したものと同じようなイメージを見出すことは、観る人にとって大きな癒しになると思っています。私の作品をご覧になって、観た方への何らかの癒しになってくれれば、という願いの気持ちを込めて作りました。

横田:制作にあたって、指導教官から「人生の中の一番インパクトの強いものを作品にしてみたら?」と言われて、その時に選んだのが、こういうテーマであった、とお話しされていましたよね。

チャン:大学生の時に、私の好きな先生の「自分の作品を作るときには、自分の人生の中で最も強烈に残っているイメージを作品にしなさい」という言葉が、大きな教えとして心に残っています。
他人の心に触れるイメージは、自分の記憶の中にある強烈なイメージではないか、それこそが他人にも共感してもらえるものではないか、そう思って表現するようになりました。

横田:その強烈なイメージが「父親からの暴力」という大変重いテーマでしたね。普通、直面するのは非常に難しい問題ではないかと感じるのですが、精神的にどのように対応してきたのですか?

チャン:大変難しい質問ですね。最初、制作を始める時に文章を書くのですが、それは自分のテーマに関する記憶を思い起こすプロセスでもあって、必要な作業とはいえ、非常に辛く苦しい経験でした。
憎しみの気持ちと哀れみの気持ちの間で揺れて混乱する自分自身の姿を、できるだけ距離を置いて見つめ、自分の中の感情の強烈さを、できるだけ客観的に表現していくことに努めました。

横田:お父さんとの関係がイメージとして浮き上がってきた時について、二日前にお会いした時には、親類の結婚式に出席した時に、父親に連れられている新婦を見て、それが一つのイメージのきっかけになったという話をされていましたね。そのあたりを少し説明してください。

チャン:いとこのお姉さんの結婚式に出席した時に、そのお姉さんは早くにお父さんを亡くされたのですが、父親が不在の結婚式を見て、これが自分の立場だったらどうなるか、と想像してみたのがきっかけです。自分の結婚式に父親はいないけれど、同じように父親の立場から、娘の結婚式に行けない父親の姿を想像してみて、お互いの人生の中で失ったもの、消えてしまったもの、また、これからあるはずだった父親の人生の中で失ったものたちは、あまりに大きいと感じました。憎しみの気持ちが大きかったけれども、時間が経つにつれて、父親がかわいそうだと思いやる気持ちも出てきたように思います。

横田:結婚式のシーンの後で、父親に対する「許し」のイメージが見えたので、私としてはホッとしました。
結婚式のシーンの後に三つの箱が出てきて、一つは卒業式で卒業証書を持っている、一つは子どもができて、孫を抱いているお父さんの姿、もう一つはお父さんが老人になっているイメージが箱の中から出てきましたが、父親との距離ができたことの一つの表れだと、理解してよろしいでしょうか?

チャン:そう、とも、言える、と、思い…ます。
結婚式をきっかけに自分が想像してみたことは、自分に子どもができて、父親が孫になる自分の子どもにどう接しただろうか、とか、父親がどれくらい年をとったか分からないけど、父親が老いた姿であるとか、そういうことを想像できるようになりました。父親と心が離れていたものが、そのことでちょっと近づいたのではないかと思えました。

横田:それは面白い発想だと思います。それを受けて、その後のシーンで、父親のイメージに近寄ろうとするけれど、どんどん距離が遠くなるような感じで、しかもそこに箱がどんどん崩れ落ちて奈落ができるという表現になっていましたが、近寄ろうとしても近寄れない距離の遠さというのが、そこに明らかに出ているように思いました。

チャン:正確にご覧くださったと思います。自分の中で、とても悔しく残念に思っている心情を描いた場面です。

横田:その後で、小さい箱が落ちて、ばらばらとより小さい箱に砕け散っていきますが、これは、今まで重たかった箱のイメージが、かなり小さなものになったという意味でしょうか?

チャン:実は、これは涙を表したものす。この作品では登場人物が泣く姿はどこにもありません。その時はとても悲しかったのですが、自分自身、登場人物の悲しみを「泣く」という行為で表現したくなかったので、自分の悲しみや涙を流したい気持ちを、箱という素材を使って、箱が落ちて砕け散る様子として表現しました。

横田:その場面で、ある程度の自分なりの結末の付け方があって、ラストで椅子の上に座って本を読んでいる主人公の後ろから、小さな女の子が外に出て行ってドアを開けて旅立つのですが、まだ大きな箱があります。この先にも、まだまだ大きな箱があるという解釈でよろしいですか?

チャン:少女が成長するにつれて、自分の心の傷や父親の記憶を自ら封印し、なきものとして生きてきたけれど、結婚式から父親を意識するようになり、そして意識しながら生きていく女性の姿を、背後に箱がある状態として表現しました。また、同じ一つの画面で同時に、幼いころの心の傷を少女の姿として表現したくて、少女もそこに登場させました。
良いことであれ悪いことであれ、消すことができない、まさにそこに存在するイメージであることを、そのまま描き出そうと思い、そういう場面で表現しました。

横田:闇の部分や受け入れがたい心の側面を意識しながら生きていくという描き方をしているので、作品を作ることを通じて、心理学的に言うと、人格の成長が見えるような作品になっていたと思います。

チャン:おっしゃるように、自分が成長できていることを願っています。

横田:それは、たぶん大丈夫だと思いますけど。
なぜそう思うかというと、冒頭、水たまりに鳥が3羽とまっているけれど、2羽が飛び去っていき、1羽だけ残される場面があるのですが、そこが、父親が一人になったことを象徴しているように思われました。その場面の”一人”と、最後に主人公が”一人”であることがダブって感じられるので、この光景が捉えられているということは、この後の人生も耐えていけるのでは、と思ったのです。

チャン:大変深く読み取ってくださっていると思います。おっしゃるようにオープニングで鳥が3羽いて、2羽が飛び立って1羽残されるシーンは、まさに家族の姿を表しているのですが、実はこの場面で、その意味に気付く人がほとんどいないので、この作品の中では、隠し絵探しのようにこっそり忍ばせておいたイメージなんです。
一人出て行った父親と、一人残された私の姿をつなげて分析をされているというのは、とても興味深いです。

横田:もう少し言うと、最初の鳥の場面は、鳥が水に映っていたので、ある種の影ですね。そうすると、作品全体に黒い影が、黒い闇が常にあり、最初から心の中の見えないところを見ようという姿勢が出ているので、とても興味深かったです。

チャン:外部的な力、自分ではどうすることもできない人生の変化を、鳥が映る水たまりをタイヤが通り過ぎる、そういう表現で表しました。
父親が帰ってくる前に雨風が吹いて、また家族が去っていく場面でも風が吹くような表現を入れているのですが、それは、人の力ではどうにもならない外からの力を表現しようとしていて、そういった象徴をどうやってうまく作品の中に埋め込むか、自分の中でとても神経を使った部分です。

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<ウェブアニメーションについて>

横田:最近ウェブアニメーションを作られて、その作品もとても興味深かったので、簡単に内容を紹介していただけたらと思います。

チャン:2作品ウェブで公開しているのですが、二つとも現在を描いたものです。눈칫밥(視線のご飯、気兼ねしながら食べるご飯、肩身の狭い思いをしながら食べるご飯)という表現があって、母親からの強い視線を受けながら生活している、親に迷惑をかけている、親からも頼りなく見られていることを感じながら、どうにもならない状態の子どもの姿を描いています。

横田:補足すると、それはアニメーターの姿で、アニメーションを作っている時に母親が部屋に入ってきて、母親の目が背中に矢のように刺さるという表現ですね。


『情けなくて、すみません(仮)/한심해서 죄송합니다』
女は毎日、机の前に座って作業をしている。
それで首が曲がった。
母親は娘が何をしているのか、よく分からないが、
とにかく気に入らない。
女は今日も肩身の狭い思いをする。
頭をあげることができない。






チャン:もう一つの作品は、不安な気持ちを持つ主人公を描いた作品ですが、その不安が黒いワニの姿として現れ、ワニが常に自分を狙っていて、夢にも出てきて自分を食べ、食べられている自分を自分も見ているという、不安に対峙する自分の気持ちを描いた作品です。
結局は、不安な気持ちや苦痛を持った自分を助けられるのは自分自身しかいない、というメッセージであったり、あるいは不安な状態とそうでない状態とを綱渡りのように気持ちが行き来しつつ歩んでいかなければならない自分の姿を、作品の中に描いています。

横田:一番最後のシーンが、ワニを抱いているとワニの姿が自分の姿になって、仲がいい感じになるんですが、抱かれている元ワニだったのが女の子の方をみて、口をパクッとあけるという風に終わるので、とても面白かったです。


『黒いワニ(仮)/검은 악어 』エピソード1~4
女は、ひび割れた壁のすき間を埋めていた。
なぜか光の入らない、その家の壁をいつまでも埋めるかのような不安感。
隣の家の男が自殺を試みた。
女は思った。
その男は生きるのが恐ろしくて、死のうとしたのだと。
そして、女の家に黒いワニが現れた。



#1 男は、生きることが恐ろしく
  彼の母親は、息子が死ぬことが
            恐ろしい



#2 半地下のその部屋の、ある一角も
  私のものでは、なかった。



#3 誰も



#4 私が助けてあげる





<今後の予定について>


横田:今後はどのようなものを作る予定がありますか?

チャン:今、構想中の作品があります。この前ベルギーに行った時に、マグリットの展覧会を見て大変感動したのですが、マグリットのような超現実的なイメージと、自分が子どものころに経験したエピソードを組み合わせて、作品を作ってみたいと思っています。人生の選択の可能性をテーマにするつもりですが、まだ頭の中にある構想の段階で、具体的に作業には手をつけてはいません。

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チャン・ナリ(『父の部屋』監督)
韓国芸術総合学校映像院アニメーション科 学士/修士を履修。
韓国コンテンツ振興院が主管する”創意人才事業”の支援によりウェブアニメーションを制作。
花コリ2013『HOME SWEET HOME』上映

横田正夫(よこたまさお)
日本大学教授(映像心理学・臨床心理学)、医学博士、博士(心理学)、日本アニメーション学会元会長。日本大学芸術学部映画学科映像コースでアニメーションを学ぶ。その後、映像理論を心理学的に解明したいと考え、大学院で心理学を学び、日本映像学会においてその成果を発表する。日本アニメーション学会の設立後、理事および会長として学会運営に参加するとともにアニメーションについての研究の発表を行う。アニメーション関連の著書は「メディアにまなぶ心理学」有斐閣(1996、共著)、「アニメーションの臨床心理学」誠信書房 (2006)、「CineAnimationS」Corlet(2007、共著)、「アニメーションとライフサイクルの心理学」臨川書店(2008)、「日韓アニメーションの心理分析」臨川書店(2009)、「アニメーションの事典」朝倉書店(2012、共編著)、Japanese Animation: East Asian Perspective」 University Press Mississippi (2013, 共編著)、「メディアから読み解く臨床心理学 漫画・アニメを愛し、健康なこころを育む」サイエンス社(2016)、主なアニメーション関連論文にはThe Japanese puppet animation master: Kihachiro Kawamoto(2003)、A master animator: Yasuji Mori’s works for children(2004)、Satoshi Kon’s transition from comics to animation(2004)、「日韓の長編アニメーションの心理分析 ―「Green Days~大切な日の夢~」と「コクリコ坂から」」(2012)、「持永只仁のアニメーションの作品にみるライフサイクル的展開」(2016)などがある。
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