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花コリ2018東京会場『FLOAT TALK』ケシュ#203 トーク録

スペシャルトーク2:アジアプログラム『FLOAT TALK』

2018年5月13日(日)17:45~アジア短編プログラム上映終了後
ゲスト:ケシュ#203(仲井 陽、仲井 希代子『FLOAT TALK』監督)
パネリスト: 村上寛光(映像ディレクター、フリッカ代表)

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「FLOAT TALK」
2016/13:58/2D/日本
監督/演出/キャラクター/美術:仲井 希代子(Kiyoko Nakai)
原作/脚本/編集/共同演出:仲井 陽(Minami Nakai)
私の家の近くには、無重力の空間があった―。 公園の忘れられたような片隅に、“穴”と呼ばれる直径2mほどの無重力の空間が空まで伸びていた。ある日、主人公「ヒワ」は幼馴染の「トウコ」から“穴”へと呼び出される。子どもの頃、2人にとってそこは特別な場所だった。しかし成長するに従って2人の間には次第に距離が生まれ、中学に入ってからは言葉を交わすことも無くなっていた。親友同士だった少女たちに起きた変化を、色彩を抑え、切り絵のようなタッチで描く。 




村上寛光(以下、村上):株式会社フリッカという映像制作の会社の代表をしてます、村上と申します。もともとは大学でアニメーションの教育に10年以上携わっていて、現在は制作の方を中心に活動しています。
今日は『FLOAT TALK』を制作したお2人、名前が「ケシュ#203」、「#」は「ルーム」と呼ぶんですよね、「ケシュルームにーまるさん」のお2人、仲井 陽(みなみ)さんが奥の方で、手前が監督の仲井 希代子(きよこ)さんに、作品についてやユニットの活動について、いろいろとお話を聞こうと思っています。よろしくお願いいたします。

仲井 希代子(以下、希代子)仲井 陽(以下、陽):よろしくお願いします。

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村上:皆さん、今作品をご覧になっていただいたと思いますが、「トウコ」という自己中心的な、わがままな性格のキャラクターとそのお友だちの「ヒワ」という2人の物語で、大人になっていくにつれて2人の関係が変化していくという、繊細な様子を表現した非常に素晴らしい作品だったと思います。
作品のタイトルについて、どういう意味合いでつけられたか、聞かせてください。

希代子:はじめまして、監督の仲井希代子と申します。ちょっと緊張しています……(笑)。温かい目で見ていただけたらと思います。
タイトルなんですが、そもそもこの作品は、彼が書いた短編小説の一篇が基になっています。そのタイトルがピアノの連弾の「連弾」というタイトルだったんですが、物語を的確に表していて気に入ってたんですけど、同名の日本映画(2001年竹中直人監督作品)があるということで、変えようという話になって。いろいろアイデアを出していったうちの一つがコレです。

陽:概ね、そんな感じで。こちらに基になった小説が載っている本があるんですけど、物販で売っているので、映画との違いを確認していただければと思います(笑)。

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村上:原作を書いたのは、陽さんですか?

陽:そうですね。もともとウェブで短編小説を一週間に1本ずつ発表しようという企画が仲間内でありまして、そこで書いた話がもとになっています。



往復書簡hp
『続往復書簡』に「連弾」が掲載されています。
掌編小説をアップしあう企画『往復書簡』のなかで、
様々な理由において書籍化されない「選外作品」ばかりを集めた掌編小説集は★こちら★でご覧いただけます。



村上:今回、短編小説の方も読ませていただいて、アニメーション化するにあたって、いろいろアレンジして変えられたところがあり、その違いを比べてみるとすごく面白いなと思います。
タイトルの『FLOAT TALK』、「FLOAT」とは「浮く、浮かぶ」ということですが無重力の柱が出てきていましたが、「TALK」というのは…?

陽:語感がいいなというのが最初にあったんですよ(笑)。なのであまり深い意味はないんですが、あえて言えば「TALK」は「話」で、ヒワとトウコのカンヴァセーションとしての「話」と、ヒワのモノローグが語りかける「話」という二つのニュアンスがあります。もともと「宙に浮いた話」みたいな比喩的なタイトルを考えていたんですが、「FLOAT」の「漂う」も、無重力の漂っている感じとどこにも行きつかない会話の感じ、それにカンヴァセーションと語りかけで、『FLOAT TALK』とつけました。

村上:そうですね、2人のキャラクターが交わらない感じというのが確かにそうですね。拝見して思ったのは、セリフがすごく多くて、いろいろ短編アニメーションを何年か見てきた中では、よく見るものと違う作り方がされているなぁと思って、プロフィールを拝見したら小説や演劇をやられているということで合点が行ったというか。会話が中心の作品というのは面白いなと思いました。
映像の中でも印象的に思ったのが、回想シーンが何回か出てきますが、そこの演出の仕方というのが独特だなと思ったんですが、それは映画的な表現というよりは、また違うような、演劇で演出をされているということで、そのアイデアなどが反映されていたりするのでしょうか?

陽:僕がもともと演劇の作、演出をやっていることもあって、ご覧になって分かる通り、すごい会話が多いんですね。

希代子:先に、何を分担したかを説明しておきますと、私が全体の監督と、キャラクター・美術など目に見えるビジュアル全般をやっています。絵を書いたり、素材を作ったりですね。

陽:僕は、もとのお話作りと、脚本と、あと編集ですね。PC上でキャラクターたちに演技をつけたりカメラを動かしたりとか、そういう役割分担になっています。

村上:いつもそういう役割分担で作られているのですか?それともこの作品に限って?

陽:普段から、そうですね。絵コンテはお互い交互に担当するんですが、絵コンテを描いた方が、今回演出担当する、という風に…。

希代子:イニシアティブをとります。

村上:最終的に揉めないように?

希代子:はい、揉めた時に「私がコンテを描いたから!」と言えるように(笑)。

陽:ケンカになった時に(笑)。

村上:なるほど、決めとかないと収拾がつかなくなる…今回は希代子さんということですね。分かりました。
その回想シーンについてですが…。

陽:いやあ、他の方のアニメーションを観ているとちゃんと絵で語っているんですけど、これ、僕今回初めてアニメの脚本を書いたんですね。で、改めて観ると、演劇をやっているんですよね、要はこれ、アニメで。舞台上で2人の人間が対峙して言い争っている、という……。回想シーンの入り方も、もともと自分のやっている演劇が現代口語演劇と言って、日常の会話で物語が展開していくんですが、例えば、2人の人間が話している時に、急に記憶の中の人物が袖から現れて話しかける、そうすると、話していた1人が反応して、その記憶の人物と会話を始めて過去のシーンに移行する、みたいな演出をよくやるんですが、それをアニメーションに持ってきたというような感覚ですね。

村上:キャラクターはそのままで背景だけをオーバーラップするとか、後半の方で幼少期の思い出の回想シーンでは、部屋が森の中にあってそれを主人公が見ている、というのが印象的でした。

陽:演劇だと、例えば照明が切り替わることで過去だったり現在だったりというのを表したりするんですけど、そこがやっぱりアニメならではというか、背景を自由に変えられるし、セット自体を森の中に置くみたいな、それこそアニメでしかできない超現実的な表現を使ってストーリーを作れたのは面白いなと思いました。

希代子:記憶と現実は全部地続きである、という風に見せたかったんです。

村上:すごく特徴的だなと思ったのは、会話が多いというところで、いわゆる人物の「切り替えし(*1)」のカットというのが多いのですが、一般的には「肩なめ(*2)」のショット等、2人の関係がわかるようなカメラワークが多く使われますが、この作品では、ど真ん中に主人公を置いた「どんでん(*3)」の切り替えしというのが多くて、それがこの作品独特の雰囲気や緊張感を出しているのかなと思います。
そういう構図は、意図的にやっているのでしょうか?

*1.切り替えし:対話している2人を撮る場合、被写体を交互に撮影すること。
*2..肩なめ:人物の後方から、肩越しに撮影する構図
*3.どんでん:前の画面と次の画面の方向が180度変わること
*1KIC-factory映像用語集より引用
*2,3東京映画映像学校業界用語辞典より引用 

陽:シンメトリーみたいになる、ということですかね?

村上:そうですね、構図は基本的にシンメトリーがすごい多いように思いました。

希代子:私は普段アニメーションだけではなくて、グラフィックもやるんですが、アニメをご覧頂くと分かると思うんですが、全部切り絵で、基本的に全部ぺらぺらの素材でできているんですね。なので、立体感がない以上、斜めから撮るのに限界があって。それで切り絵の平面素材を一番きれいに連ねる構図を考えた時に、シンメトリーだったり、ど真ん中にどんっとインパクトをもたせたり、グラフィカルな構図を好んで使うようになりました。そういう手法なので、構図も独特な感じになっているんだと思います。

陽:これちょっと怖い話なんですけど、僕が編集する時に、キャラクターもカメラも真ん中に来るような数値を打ち込んで、数値上ではど真ん中に置いているつもりなのに、彼女に「ちょっと見て」と見てもらうと、「何か、ちょっとズレてる」と言うんですよ。で、実際にグリッド線を出すと、本当に1ピクセル、2ピクセルの単位で、ちょっとズレてたりして。この人、変なセンサーみたいなものを持っているんですよ(笑)。

希代子:センター病なんですよ(笑)。

村上:グラフィックやデザインをやっている人って、そういうこだわりがありますよね。面白いですね。
手法はデジタルのカットアウトですね?絵はデジタルで描いているのですか?

希代子:いや、基本的に一番最初の下絵は鉛筆で描いていて、そこからパソコン上で型を作って、テクスチャーを貼って、作っています。

村上:制作期間はどれぐらいですか?

希代子:制作期間は脚本が紆余曲折あって、実作業に入ったのは1ヵ月くらいです。

村上:尺は13分くらいですよね。

希代子:そうですね。はい。

村上:13分で1ヵ月って相当…。

陽:2度とやりたくないですね(笑)。

希代子:ベッドで寝れないという…(笑)。レンダリング中に床で、ごろ寝をするというような生活をしていました。そうしないと起きれないので……。

村上:やはり、この手法だからできたというのもありますよね。パペットというか、普通のアニメーションの制作だと限界がありそうです。

希代子:手描きだと無理ですね。

村上:後半で回想シーンがいろいろ続いていきますが、特に印象的だったのは、最後にヒワちゃんが友達にその秘密の場所を教えてあげてしまった、それをトウコが見つけて、激昂するというシーンがあると思いますが、最後にトウコを救ってあげて、ヒワちゃんが、「ごめんね」と言いながら顔にズームアウトしていくカットで、カメラワークがヒワちゃんのサイズは変わらないで背景の森のパースが変化していく、広がっていく、あれはヒッチコックが好んで使っていたドリーイン&ズームアウトによる『めまい』のようなカメラワークがありました。あれはどういう狙いでしょうか?

陽:あれは非現実感というか、特別感を出したくて。回想の中でも、あの瞬間がヒワにとってはすごく重要だったんですね。それを際立たせるためにヒッチコックがやったというか、僕も昔やったんですけど、自主映画を初めて撮るときに必ずやるような……。

村上:最初にカメラワークを覚えるとやりたくなる…笑。
あの「ごめんね」と言うのが、見たときに、トウコにはそういう言葉を言いながらも本心ではそう思っていない、というのをとてもうまく表現しているなと思いました。

陽:や、まさにすごくいいところに目を付けていただいて(笑)。あの瞬間が脚本原作やった僕と、監督とのズレみたいなものが一番出ているシーンなんです。小説は全部ヒワちゃんのモノローグで書いたんですけど、その書き方が、叙述トリックではないんですが、「こういうひどいトウコちゃんという女の子がいたんだよ」っていうヒワちゃんの目線で書いてるんです。だからヒワちゃん自体、悪いことをしているつもりは一切ない。「ね? あの子、こんなにひどいでしょ、だから私、最後助けなかったの」っていうことを自分が正しいと思ってこちらに物語ってるんですけど、それを客観的に見ると、「いや、お前、ひどいな」という。そういう風に思ってもらえればなと書いたので、僕はヒワちゃんは凄い悪者だと思ってるんですね。トウコちゃんもわがままで悪いところがあるけれど、ヒワちゃんの自己欺瞞というか、お前の方がずるい人間だよって。でも、あの「ごめんね」というシーンでヒワちゃんの顔が曇るじゃないですか、ちょっと苦しいというか嫌だなという顔をして言うじゃないですか。あそこは最初、僕は無表情でやっていたんですが、監督から「あそこは”嫌だな”という顔をさせてくれ」と言われたんです。で、それを入れるとどうなるかというと、ヒワちゃんに感情移入できるようになるんですよね。監督はどちらかというとヒワちゃん派で、トウコちゃんひどい、っていう風に見てたので。

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希代子:たしかにヒワちゃんがひどいっていう感想も多いんですけど、私自身はとても他人事とは思えず、彼女自身が相手のトウコちゃんを甘やかしてしまうというか、依存心を助長させてしまった要因だと思っているんです。本当は、彼女が「ごめんね」以外の言葉を言う選択肢はあったと思うんですよ。「もうこれ以上耐えられない」だったり、それこそ黙ってしまうだったり、彼女が「ごめんね」という言葉を言ったことによって、トウコちゃんの甘えだったり、存在だったりを全部まるごと引き受けてしまった。彼女のそういういい子でいたいがために呪いに自らかかりにいってしまったという弱さは、とても他人事とは思えませんでした。

村上:2人の関係があそこで大きく変化した瞬間だというのは、分かりました。
最初と最後のモノローグで、ヒワちゃんがしゃべっているというのは、これは原作を読むと分かるのですが、回想として特に原作の方でいうと、誰かに語りかけるようにこの物語は話しているように思えました。それが映像の方でも最初と最後に出てきていて、それがとても小説的な言い回しになっていましたが、映像であそこに台詞を2つ入れた意図を聞かせていただけますか?

希代子:この小説は全編モノローグになっているんですが、これを映像化、アニメ化するにあたって、主人公はこのモノローグをどういう状況で語っているんだろう?ということをまず考えたんですね。どこにも描かれていないんですが、このモノローグは中学生のヒワが言っているわけではなく、35歳ぐらいの、なんとなく大人になったヒワが、誰か身近な人に対して「こういうひどい過去があったんだよ」みたいなことを話している、というシチュエーションをまず思い浮かべたんですよ。つまり、時系列としては最初と最後のモノローグは大人になったヒワが、自分の中学校時代の過去と小学校時代の過去を同列にならべて語っている、という感じになっています。

村上:メタ構造(*4)というか、階層がまたもう一段階あるということですね。
*4.メタ構造:2次構造

希代子:はい。なので、この物語自体も完全に主人公ヒワちゃんの都合のいい解釈の記憶だと思っているので、たとえば「これだけトウコちゃんにひどい目にあった」という自分を正当化したい印象の小学校時代は色鮮やかに、中学校時代の「ちょっと自分もひどいことしたかな?」という自責の念が感じられるところはセピアっぽく彩度を極力落としています。

村上:時間軸的には、時代が後の方がセピアになっているのが不思議だなと思っていました。


<音楽について>

村上:音楽についてお聞きしたいのですが、原作が「連弾」というタイトルで最初のオープニングのシーンで、もう一つ言うと『FLOAT TALK』のタイトルが黒板に表示されるシーンは2人で連弾をしていて、トウコちゃんがうまく弾けなくて暴れる、と。ヒワちゃんがそれを見て、そこから中学になる間に2人の関係が離れていった、ということを、表現するのに、非常にうまい、ワンカットでピアノと2人の関係が強調されていて、あのカットはすごくアニメーションならではの表現だなと思いました。

希代子:ありがとうございます。

陽:そういう表現を本当はもっといっぱい入れなきゃいけなかったんですが(笑)。

村上:あのショットがすごい好きでした。また「連弾」ということで、全体的に音楽がピアノの連弾で構成されているのが面白かったです。その2つの低い音と高い音の連弾の音が、メロディーが2つありますが、前半と後半で、少し構成が変わっていっていると。後半の方が高い音の方が連打するようなメロディが入っていったと思います。最初の方は2つのメロディーがとても調和していて、それが作品のシナリオ全体の構成とリンクして作っているように思ったのですが。音楽についての演出の依頼や話し合いは、どのようにされたのですか?

希代子:お任せでしたね(笑)。

陽:逆に、どういった点でリンクしていると思われたんですか?

村上:曲の前半の方は低い音と高い音のピアノのメロディーが調和していきながら、後半の方で少しそれがお互いバラバラな形になっているなと思ったのですが、それがシナリオと構造が似ているような気がしました。

陽:なるほど!

希代子:すごいね(笑)。

陽:そうですね、そ、その通りです(笑)。
作曲は伊藤豊さんという、素晴らしい友達が作ってくれたんですけど。

希代子:至らないところを全部カバーしてくれたんです。

陽:スタッフさんには頭が全然上がらないです。

希代子:ずっとごめんなさい、しか言ってないです。

村上:一ヵ月の間に作ったのですから、確かに大変そうですものね。
最後にトウコが空に消えていってしまうシーンでも高い音の方が先に消えていきますが、それもそういう象徴の音楽を作ってくださったのかなと…。

陽:いやあ、きっとヒワちゃんの気持ちが先に消えたという……。まさにそういう狙いですよね(笑)。



<ケシュ#203について>

村上:2人でアートユニットをされているということで、結成について経緯を聞かせてください。

陽:もともと劇団みたいなことを学生時代にやっていて、みたいなというか、劇団であり、映画も撮るという2足の草鞋を売りにした団体を作ったんですね。それが「ケシュハモニウム」という名前で、僕が作・演出をやっていて、彼女が小道具やったり自主映画を撮ったりしていて。

希代子:その頃の小劇場でタイトルバックというか、劇中映像を取り入れるのが流行っていたんです。そのお仕事をいただくことがたまたまあって、もともと自主映画もやっていたのでアフターエフェクトを扱えることもあり…。

それで、他にもいろいろ引き受けるようになって、最初は彼がメインでやっていたんですが、お手伝いをやっているうちに、自分にもできるのではないかと。ってやっているうちに二人でアニメーションを作り、それがお仕事に、という状況になっていました。

陽:演劇って食えないじゃないですか。

村上:そ、そうなのですね。

陽:僕、ちょっとスランプになって書けないみたいな時期もあって、演劇も食えないし、じゃあ映像だったら食えるんじゃないか、みたいなところで映像の仕事をやりはじめたんです。友達がテレビの制作会社に入ったりとか、仕事をくれるような立場にもなって、アニメーションも作れる? みたいな感じで……。

希代子:作れる作れる!って。作れるか分かってないんですけど。

陽:たぶんできると思うって言って。

村上:仕事でまずアニメーション制作が始まったのですね。

希代子:そうです、最初に作品を作る前に仕事になってしまったので。

陽:NHKの番組とかでアニメーションを作るようになったんですけど、仕事の方を先に始めたので、自分の作品を作ってないことが負い目というか……。

村上:自分の作品を作りたいという気持ちはあったのですね。

陽:そうですね、それはずっとあって。

村上:それを作るきっかけは、何があったのですか?

希代子:テレビでアニメーションを作る仕事の方が先に始まってしまったので、オリジナルのアニメーション作品を作らなければならない、という強迫観念みたいなのがずっとあったんですけど、何回も作ろうとするたびに、プロットも物語もできたんですが、結末が気に食わないとか、何となくこういうの好きじゃない、とか。

陽:会話が噛みあわなくて(笑)。

希代子:何回も何回も頓挫して…。

陽:全然方向性が違くて(笑)。

希代子:そうこうしているうちに2015年に10年ぶりの演劇公演をやることになって、それで芝居を打ったんですが、それはおかげさまで好評だったんですが、芝居の生モノである儚さに改めて驚いてしまいまして、一瞬で物語が立ち上がっては消えてしまうというのが…。

村上:ライブですものね。

陽:けっこう面白いものを作ったという自負はあったのに、面白いですよって言っても見せられないんですよ。

希代子:後で誰も見られないという、そのことを痛感した時に、我々には物語を真空パックにできるようなアニメーションという手段もあるじゃないか、と。ごちゃごちゃ言っている場合じゃない、とにかく作んなきゃ!と、まずきっちりと〆切を決めて、納得行こうが行くまいが、とにかく作りあげるということだけを目標にして、これを作りました。

村上:初作品でこれだけ13分のものを作るというのは、本当にすごいと思います。

陽:いや、単に加減が分かってなかったという……(笑)。

村上:これが初作品で、今後もまたアニメーション制作を続けていかれると思いますが、次の企画とか、準備しているものがもしあればお聞かせください。

希代子:そうですね、今、オリジナル作品を何作か平行しているんですけれども。一つはもうちょっと物語性を排した詩のような、思考停止についての物語みたいなものを1個考えています。

陽:他にも、こういうセンシティブで内向きな話ではなくて、もっとエンターテインメントでナンセンスな笑いもあったりしつつ、ちょっとこう考えるような作品を一つと、もう一つは、僕、脚本家もやっているんですけど、仕事で脚本を書くとどうしても真面目なものだったり、感動させるものだったり、意味のあるものを書かなきゃいけないじゃないですか。それの反動で今、人を困惑させるということだけを目的にした、悪趣味なジョークみたいなものを書いたので、それをアニメにしたいな、と。

村上:3つもの企画があるのですね。それは楽しみですね。それも全部、1ヵ月で作られるのですか?

希代子:いやいや、絶対にないです(笑)。スタッフさんに顔向けができないので(笑)。

村上:新作、ぜひ楽しみにしています。短い時間でしたがこれでトークの方を終了したいと思います。ありがとうございました。

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ケシュ#203(ケシュルームニーマルサン)
仲井 陽と仲井 希代子によるアートユニット。早稲田大学卒業後、演劇活動を経て2005年に結成。NHK Eテレ『100分de名著』や同『グレーテルのかまど』などの番組でアニメーションを手掛ける。手描きと切り絵を合わせたようなタッチで、アクションから叙情まで物語性の高い演出が特徴。またテレビドラマの脚本執筆や、架空の町を舞台にした連作短編演劇『タヒノトシーケンス』を立ち上げるなど、活動は多岐に渡る。オリジナルアニメーション『FLOAT TALK』はドイツやオランダ、韓国、セルビアなど、数々の国際アニメーション映画祭においてオフィシャルセレクションとして上映された。

村上 寛光 (Hiromitsu MURAKAMI)
1975年横浜生まれ。東京工芸大学芸術学部映像学科卒。岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)卒。ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(英国)アニメーションコース修士課程修了。現在、クリエイティブチーム「フリッカ(Flicker)」代表として、アニメーションや映像制作、商業施設のデザイン、ワークショップなどのイベント企画など、多岐に渡る活動を行う。
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