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『デフラグ』ファンボ・セビョル監督インタビューby NAVER cast

今回の記事はNAVER castでシネ21のソン・ギョンウォン記者が花コリ2015東京会場ゲストの『デフラグ』ファンボ・セビョル監督にインタビューしたものです。
今回、NAVERのご好意で翻訳したものを掲載させていただけることになりました!

花コリ2015東京会場 5月9日(土)18:35の回、上映後、ファンボ・セビョル監督によるトークがあります。
心理学の観点から、これまでにも様々なアニメーション作品について分析している横田正夫氏をお呼びして、
ファンボ・セビョル監督の作品を読み解いていただきます。

B07_Defragmentation.jpg
「デフラグ / 디스크조각모음/Defragmentation」
2014/14:02/ファンボ・セビョル



[アニメーション監督]

誰も行けなかった道から、また一つの足跡
ファンボ・セビョル監督

私達は、しばしば、目の前にあっても、まともにみようとはしない。
第一印象と先入観で相手を判断するのは、旅行に行って、カメラのファインダー越しでだけ風景を観ることと相違ない。白状すると、私もそうだった。
2014年インディーズ・アニメーション界に新鮮な衝撃を与えた「デフラグ/Defragmentation」は、奇抜な想像力と、安定的な構造、覇気と円熟美が入り混じった作品だった。
この、なじみのない、新しい声を発する監督は誰なのか、気になった。
ともすると、その瞬間から、一種の先入観が割り込んだようである。
こんな作品を作る監督は、きっと真剣で暗くて生真面目な人だと無意識に判断してしまった。

結論から言えば、誤解だった。

ファンボ・セビョル監督は、キラキラ輝く人だった。真摯な中、活力にあふれ、愉快ながらも落ち着いている。深い思惟の視線を愉快さで包み込むことができる鋭さもある。デビュー作『Rubout(2007)』に始まり、『VIEWPOINT(2011)』、『デフラグ/Defragmentation(2014)』まで、作品を発表するたびに、インディーズ映画界全体に刺激を与える、ファンボ・セビョル監督は、言葉通り、若い青春の気運に満ちている。
ただし、この時代の青春は明るくて若いだけではあり得ない。輝くことができるということは、周辺の闇を一緒にまとっているという意味でもある。私達は、たいてい輝いて爽やかな青春のみを記憶するが、その後で、激しく悩んだ過程があったことを簡単に忘れたりする。ファンボ・セビョル監督の作品は、叙事ではない新しい形式を通じて、その点をじっくりと突いてくれる。時には恐ろしいくらいに率直であるが、その終わりに、私達を、いやお互いを慰めようとする暖かい温もりを抱いている。
難しく考えるな。あなたの話だ。怖がるな。私達のための話だ。
いくら難しくて、馴染みがなくても勇気を出して、心から向かい合う瞬間、また別の声が聴こえる。
ファンボ・セビョル監督の作品をまっすぐ眺めるために、ここにささやかな場を用意した。耳をすませば、本当の声が聴こえる。

■新しい形式と深い思惟の出会い

Q.ついに出会えた。13回ミジャンセン映画祭、インディーフォーラム2014、SICAF2014等、昨年、どの短編映画際へ行っても『デフラグ/Defragmentation』があった。一体、誰なのか気になった。

A.出せるところは、全て出そうと思って(笑)。
CJ文化財団アニメーション支援事業で制作したアニメーションだったし、慣れ親しんだ作品ではななかったから、最大限もっと多くの方々に見せたい欲もあった。出品しても全て選ばれるわけでなないけれど、幸い、風変わりな作品だから、よくみてくれたみたい。


Q.『デフラグ』を初めて見た時、衝撃だった。アイデアが斬新で、形式も破格的だった。何より新しい。ただし好き嫌いが分かれる作品だけど。

A.いろいろと反応がパッと分かれる。見掛け倒しだ、理解できない、不便だという声もきく。どちらにしろ映画祭の観客は意見を述べるのに、より積極的になることがある。反対に私が意図した部分を正確についてくださる方もいらっしゃる。特に既に活躍している監督達は私の立場と性向を支持してくださる方々が多い。最後まで一気にやってみなさい、と。


Q.難しい部分もあるけれど、新鮮な刺激を与えることは明らかだ。少なくとも、みた後、何か話したくなるという点では、他の作品と比べることができない。

A.特に自ら実験的な作家と大きく意識はしていない。その時々に影響を受けた感情と解き明かしたい状況を私の方式通りに伝えてみると、そんな風にみえるみたい。実は、今まで影響を受けてきた監督が大衆的な人達とは言えない(笑)。アニメーションを映画の下位ジャンルとみる人々もいるけれど、表現の限界がないという点では、全ての映像媒体の上位ジャンルだと言うこともできる。意志によって、いくらでも幅広く受け入れて自由な表現ができる。そんな意味で常に表現方式の新しさに執着するんだと思う。


Q.主にどんな作家に影響を受けたのか。

A.一応、小津安二郎。ストーリーが感動的で、いや感情を伝える卓越な手腕が感じられる。形式で話を伝える監督。小津の映画を観ながら、形式を通じて表現することができると悟ったし、それに対する魅力を感じた。構造で何かを話す人々が好きなの。作品に対する反応はひとつではない。皆まったく同じ感情を感じたらつまらないじゃない。作品の中の様々な反応を導き出して、目を覚まさせ、分かち合いたい。必ずしも映画だけでなく、他の視覚芸術分野、現代美術も同じ。


Q.アニメーション監督の中で、印象的な作家を挙げると?

A.実はアニメーションは、どうしても映画より、叙事中心の作品が多いみたい。もちろん良い作品、好きな作品はある。99年カンヌ映画祭短編部門で受賞したWendy TilbyとAmanda Forbisによる『ある一日のはじまり/When the Day Breaks』は見た瞬間に惚れた。『The External World』を作ったDavid O'Reilly、『 It's Such a Beautiful Day』のDon Hertzfeldtも好き。山村浩二の作品もいい。あまりないと思ったけど、考えてたらずっと思い浮かぶ(笑)。


■私の中の話が実っていく時間

Q.実験的という表現では分類したくないが、確かに何か新しいものを提示する作品が好きなのは否定することができなさそうだ。インディーズ・アニメーション界でも確実に自分の色がある若い作家として認識されるようだ。

A.実はどっかに行って、アニメーション監督だと、まず言わない。伝えたいことがあって作品を作ってみたら、監督という呼び名がついてきただけであって、そのもの自体には大きな意味はない。自ら監督という認識自体がちょっと欠けているんだと思う。制作支援事業に申し込んで作品を作るのもそのため。作品を作るまで自ら決心を押し固めるきっかけと圧迫がちょっと必要なスタイル。

Q.そうみると今まで3作品作ってきたが、皆、制作支援を受けた。『Rubout(2007)』は韓国コンテンツ振興院(KOCCA)支援作で、『VIEWPOINT(2011)』はソウルアニメーションセンター支援作、そして、『デフラグ/Defragmentation(2014)』はCJ文化財団支援作ある。

A.運が良かったみたい。珍しいタイプだから、よく選ばれる方。一方では、それほど確信のある時に、支援をしてるんじゃないかと思う。収益のための作品、経歴を積むための作品を作るつもりなら、こんな形で作りはしなかった。勉強するとか、会社に通って平凡に暮らしてみれば、ある瞬間、私の中に何か積もって熟したという感じがする時がある。それを吐き出さなければならない時期が来る。そのたびに作品を作ったんだと思う。そのタイミングに必要な制作支援に応募する。少なくとも自ら確信なしに支援に応募したことはない。一つの作品を制作しながら、同時に次の作品を企画するスタイルではない。それで作品活動が相対的に遅いんじゃないかと思ったりする。



Q.『デフラグ』はどんな感情が育って制作にまでにつながったのか。

A.記憶に関する話題は常に抱いていた。記憶というのは過ぎ去った後、また整理するパズルの破片のようだ。良い悪いという記憶は、始めから決まっていたのではない。良い記憶が悪く変わることもあり、悪いことが良い記憶に彩られることもある。その過程を描きたかった。感情が構造化する過程を視覚的に広げてみたかったけれど、当時、アルゴリズムに関する勉強をしながら、記憶とアルゴリズム構造が類似していると思った。そんな中、ウィキペディアでデフラグをする過程をグラフィックで説明しているのをみたのだけれど、これだ!と思った。赤・青・緑の破片がお互いに順序がアベコベになる動きから、直感的に記憶の痕跡をみつけた。

Q.非常に直感的な一方、様々な解釈が可能な作品である。3つのエピソード、7つのカラーで織り上げた精巧なパズルのようにみえる。もう少し、分かりやすい解釈のための一言を言うとしたら。

A.一旦、分かりやすくないことを望む(笑)。こんな風に作っておいて、正確な解釈を要求してはいけないと思う。私の立場では、大きな範疇を脱しない限り、どんな解釈でも受け入れることができる。細部的な象徴が何ということを離れて、「それで、これをみて、心がどう感じるんだ、空腹感を感じるか?」と問い返すことができたら満足。特定のキャラクターや叙事に没入する話はあまり好きではない。元々、3つのエピソードで、3番目のエピソードひとつだけ持っていた。適した配列構造を探すことができなくて、1年寝かしておいたけれど、過去と記憶、善と悪が共存する二重性を表現したかった。以後、ディスク配列という形式的な構造が入ってきて、全体的なフレームが完成された。

Q.構造を強調しただけに通常のアニメーションより編集過程がかなり難しかったと思う。

A.企画が完璧でなければ、作業を始めることができない方。デフラグという動きをただ視覚的に伝えなければならないという点が難しかった。動画と彩色を完成しておいて、編集と配列だけに1ヶ月かかった。元々、1年半計画した作品だけど制作支援をもらって6ヶ月以内に完成させなければならなかった。後半には物理的に時間がなくてお姉さん(双子の姉であるファンボ・クムビョルもアニメーション作家だ)と知人を総動員した。絵を描く時間があまりにも足りなくて惜しかった。

Q.多くの困難があったが、結果的に『デフラグ』は昨年インディーズアニメーション界に新鮮な活力を提供し、第10回インディ・アニフェストで大賞を受賞し、価値を証明した。

A.まだ少し恥ずかしい。でも一方では私がこんなに悩んだのに、人々がわかってくれたらいいなという思いもあった。どうせ皆が好きな作品じゃないということはよくわかっている。わかってくれる人が少ない、狭い道を選択しただけに、わかってくれないかなという期待もあった。そういう次元で認められたようで、嬉しくて、やり甲斐があった。今後も監督になるために作品を作ることはないと思う。伝えたいことがある時、作品が出るわけで、そうしたら、誰かが私をまた監督と呼んでくれるでしょう。そんな風にして粘り強くファンボ・セビョルという作家の世界を積んでいくのではないか。

■再び振り返るための馴染みなさへ

Q.制作年順と反対に『デフラグ』『VIEWPOINT』『Rubout』の順に作品に触れてみた。『Rubout』という2007年に作った最初の作品だが、意外に最近の一連の社会状況と既視感があり驚いた。

A.周りで、そういう話をよく聞く。でもその時も似たような事故があった。大邱地下鉄事故。それを念頭において作ったのではないけれど、こんな事故は本当に絶えないんだなぁと思い、驚き、悲しかった。『Rubout』は誰かの善意が、ただ善意ではないかもしれないという、時には利己的な行動にもなりえるという考えを伝えたくて作った。最も価値観の混同を経験した大学時代に作った作品。



Q.地下鉄、サバのように日常に馴染んだ素材を活用していた。3編の作品の中で、一番叙事的、大衆的だ。

A.列車に対する色々な心情とメタファーを書いたのかという質問も受けたが、実は私の通学路(笑)。学校に行く途中、ふと、そんな思いがした(笑)。このまま橋が崩れ落ちれば、私の葬式で家族たちが集まって嗚咽する。それがとても嫌だった。あの時、私が知らなかった人と思えばいいじゃないか、と思った。瞬間、私がとてもいい人になったように思えた。でもまた考えてみたら、私が反対の立場なら本当に悲しくてぞっとする考えだと思った。あらゆる妄想をしながら妙な気がしたし、これを話にしてみようと決めた。抽象的なイメージから出発したのもある。お母さん、サバ、心が水に浸る感じ。

Q.叙事より印象的なのは絵だ。3編とも全部そうである。鋭くて不便な感じがしながらも、簡単には消えない。

A.いつからか、非主流的な面貌があると悟った。皆は好まないが、何人かは本当に好きになってくれるコード。図柄もそう。そうであったら良いという希望、固執のようなものかもしれない。絵柄自体は単純に、私が慣れ親しんだ私の趣向だ。代わりに表現方式は常に悩む。現実的な制作技法と妥協する時もあるが制約の中で最大限新鮮に近づこうとする。
たとえば好きな作品の中の一つの 『When the Day Breaks』のような場合、ロトスコープを活用したけれど、パステルの質感を維持してる。そういうのがいい。『Rubout』はクォリティー面では不満だった。『VIEWPOINT』の時は、その点をもう少し気を遣った。ツルは3Dだけれど、手や髪はロトスコープを使うとか、難しい髪の毛の動きは2Dで質感を生かすという形式で。効率的だと思う技法は全て混ぜて使った。



Q.率直に言う。『VIEWPOINT』は少し恐ろしかった(笑)。なんだか伊藤潤二の『富江』が思い出されたり。

A.認める(笑)。攻撃的という言葉もたくさん聞いた。『VIEWPOINT』は自尊心に関する話だった。最も人文学的な勉強に枯渇していた時だったけれど、自尊心に対する慰めにしたかった。私のための慰めと思っていたが、それが恐ろしくて攻撃的にみえたようだ(笑)。主人公は自尊心が最も低くなり、自分を化け物のように感じる状態だから、そんな姿になったんじゃないかと思う。私が作った私の中の化け物という感じ。ともすると恐ろしくみえるのが当然。だけど、結局「それはお前の考えなだけだ、本当ではない」と慰めたかった。

Q.サイコドラマをみる気分だった。

A.(拍手して)当たってる!わかってくれて本当にうれしい。自尊心を高めることができる話を書いてみたら、個人的な叙事に流れて、かなり子ども用の童話のようになったみたい。そんなところに精神分析学治療法中のサイコドラマ状況がぴったりという気がして、仮面を被った役割遊びを形式的に借用した。制作期間も一番短かったし、個人的にも変化が多かった時期だったから、そんな悩み、自らに対する慰めの心が反映されたようだ。


■Newstar Wonderlandにあなたを招待します

Q.建国大学の学部を卒業して大学院まで進学した。途中で広告会社にも通ったという話だが。

A.去年8月に大学院を卒業し、今はフリーランサーで活動中。大学院入学前に会社も少し通った。正直、会社生活は悪くはなかった。一人でずっと孤立している時の短所を緩和する緩衝剤の役目をしてくれることもあり、たくさんの経験も積むことができた。ただし個人作業をする時と隙間が大きいから呼吸を調節する必要はある。外注制作は期限内に決まったクォリティーさえ合わせればいいから、むしろ心理的に楽な部分もある。でも、ずっと外注制作ばかりして いると自分の話をしたくなる。私は試行錯誤もたくさん経験する方で、作品も時間かかる方だけど、職業的な作業では、どうしてもそういう部分で余裕がないから。時には自我が2つに分離する感じというか。

Q.「職業的」という表現は印象的だ。監督は職業だとは思わないのか。

A.それよりは一種の呼び名ではないかと思う。長い間作品を作っていたいが作品を作ること自体を目的にしたくない。私の中に話が積もって、伝えたいことを新しい形式で表現したいだけだ。何になったとしても作らなければならないという圧迫がストレスとして近づけば、私の中の話も、まともに引き出すことができなさそうだ。それでも作品活動を趣味でするという意味ではない。インディーズ・アニメーションという不毛な環境で、こんな空腹感があって、こんな 楽しさもあるということを知らせたいという義務感もある。ただし、どこまでも「ファンボ・セビョル」らしくしたい。

QNAVER tv castチャンネル紹介に「Newstar Wonderland」と書いていたが、ファンボ・セビョルらしいとは、そのことをいうのか。

A.ファンボ・セビョルといえば、浮かび上がるスタイル、一つの世界があればいい。Christopher Nolanのように名作を撮った監督が、たまに広告や他の映像を撮る時も自分のスタイルをよく溶かし出すのをみると素敵。それが本当の監督なんじゃないかと思う。自分の話ばかりするのは誰でもできるじゃない。大衆性と芸術性の調律が必要。そんな点でまだしばらく経験不足で勉強も必要。いつか40、50代に、自分だけのスタイルで両方全てを包み込むことができたら、確かにカッコイイことだと思う。「ファンボ・セビョルがこういうのうまいよね」って信じて任せられるような信頼を積みたい。

Q.まだ3編に過ぎないけど、確かに自分のコンセプトを積んでいるのではないか。もうある程度、構築されたと思うが。

A.かなり、かなり、かなり暗いんじゃない(笑)。一方だけに片寄るのを警戒しなきゃと思うけど、まだうまくできない。ヨーロッパやアメリカの方では私の絵に相対的に、もう少し友好的ではある。でも、まだ拒否感のある要素が少なくないようだ。韓国で制作しようとすると、そういう部分を無視できない。これからは明るくてやさしい話もしてみたい。まだ若いのに、ある意味ではとても物々しいものをつくったみたいで(笑)。今までの主題も結局、誰かに慰労を伝えようと思ったの。今更それをそんなに難しく慰める必要があっただろうかと思う。これからは、もう少し優しく慰労を伝えたい。NAVER tv castという窓口を通じて、もう少し多くの人々と会話したい。今まで慣れ親しんで歩いて来た道ではないから、少しの勇気が必要のようだ。

Q.そういう意味で、まだ監督の作品に馴染みがない観客に一言。

A.作品を作っていると、ある瞬間からホラームービーを恐がらなくなった。よく作られたホラームービーをみると、どうして、あれがあんな風に表現されなければならなかったのか理解できて。視覚的に見たくないのを苦労して見なさいと 強要したくないけど、あの場面がどうしてあんな風に表現されなければならなかったのか、その理由を一度考えて見ると、意外に多くのものが新しく 見えてくると信じる。傷つけないから怖がらないで(笑)。

ファンボ・セビョル監督の「Newstar Wonderland」by NAVER tv cast



ファンボ・セビョル監督:「形式はメッセージだ」という気持ちで、表現の最前線から常に新しい方式を悩む開拓者。まだ監督という呼び名は恥ずかしい、だから学んで熟練するのに怠けないインディーズ・アニメーション界の新星。


ソン・ギョンウォン:シネ21記者
シネ21の映画評論家でデビュー、現在シネ21の記者として働いている。偏食しなければ健康だという話に惹かれる。映画を主食にドラマ、ゲーム、漫画、アニメーションまで選り分けず、よく食べて寝る、消化する雑食性動物。

<ソン・ギョンウォン記者による、花コリで上映された監督インタビュー記事一覧>
*全て韓国語です

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